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連番359                          2017.9.16

自反尽己(じはんじんこ)

     自反とは指を相手に向けるのではなく、自分に向ける。
   すべてを自分の責任と捉え、自分の全力を尽くすことである。
そういう精神風土を保ち続けたところに、この人の繁栄、この国繁栄の因がある。

相田みつをさんの言葉に、「あんなにしてやったのに 『のに』がつくとぐちが出る」という常々意識しなければならない戒めのことばがある。一所懸命やったのに、あれほど言ったのに、こんなに心配してるのに・・・『のに』がつくと人や環境のせいにしているのがよくわかる。責任を相手に向けているからだ。

 

相手が石だったら・・・?石につまずいて転んだ。なんでこんなところに石なんかあるんだ、とこん畜生で石を蹴る。責任を石に向ける、そういうのはつまらない人間だと、安岡正篤は云う。つまずいた時「ああうっかりしていた。おれもまだまだだいけないぞ」と反省する。我慢するのでもなく、忍耐でもない、ただ、自ら反(かえ)る、のである。自然にである。

 

自反とは、なんでも問題の原因を外に帰するのではなく、外に向けた指を自分に向けるということだ。「己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」と西郷隆盛は云う。何かしら自分の心に反するものがあれば、他に求めることなく自分に反(かえ)る。自分の至らなさに帰すことができる人は、人として第一等の資質を持っていると思う。そういう人は深沈厚重だ、どっしりと深く沈潜し、厚み、重みがある。

 

外ばかり見ているから、現代の病に侵される、ストレスが生じる。「自ら自らに反(かえ)る」、すべては自分の責任と捉え、己の全力を尽くすことでしか自立は得られないのだろう。

 

いかなる時も人間としての正しい考え方は、自分の内部に第一原因を発見することでなければならない。(安岡正篤) 心したい言葉である。

 
 

連番358                              2017.9.9

          お母さんと言う名前の由来

自分の人生を 充実させていくのは、 親でもないし、 先生でもないし、 環境でもない。自分自身が感謝する心を 持てるかどうかだ。と、境野勝悟(東洋思想家)は言います。由来を知れば、感謝の心は生まれる!
【「お母さん」の由来】
 これは、もしかすると女性には 理解できないかもしれないけども、 男性にはわかってもらえると 思います。 お母さんが家にいると黙っていても 明るいのです。 あたたかいのです。 それで、わたくしたち男は 自分の妻に対して、「日身(カミ)」に「さん」をつけて「日身(カミ)さん」と言ったんです。 丁寧なところでは、 これに「お」をつけて「お日身(カミ)さん」 といったんです。 この「日身(カミ)」という意味は?「カ」は古い言葉では「カカ」といいました。 もっと古い言葉では「カアカア」といった。 さらに古い言葉では「カッカッ」といったんだそうです。「カカ」「カアカア」「カッカッ」。 これが「カ」となるんです。「ミ」というのは、 わたくしたちの身体という意味です。 ですから、「日身(カミ)」とは、 わたくしたちの身体は「カカ」の身体である、「カアカア」の身体である、「カッカッ」の身体であるという 意味なんです。
 では、「カカ」「カアカア」「カッカッ」という音は、古代では 一体何を意味したのでしょうか。「カッカッ」というのは、 太陽が燃えている様子を表す 擬態語でした。「カッカッ」とは、 実は太陽のことを指したのです。「カアカア」「カカ」という音も 同様です。 つまり、わたくしたちの体、 わたくしたちの命は 太陽の命の身体であるということを「日・身(カミ)」(太陽の身体) と言ったんです。

お母さんはいつも明るくて、 あたたかくて、しかも朝、昼、晩と 食事をつくってくださって、 わたくしたちの生命を 育ててくださいます。 母親というのはわたくしたちを産み、 その上私たちを育ててくれます。 母親はまさに太陽さん そのものだということから、 母親のことを昔は「お日身(カミ)さん」 といったそうです。 
 
 

連番357                              2017.9.2

短所の是正か長所の慎重か

般若心経の言葉の中に不正不滅と言う言葉があります。世の中の出来事は何かの生があると何かの滅がある。その生と滅の中にいつも、滅があれば生があり、生があれば滅がある。これを同時に見るのが空(クウ)の眼である。と言ってます。ちなみに、世の中の改革への取り組み姿勢は、世代や国によって異なりますが、若く勢いのあるリーダーが長所伸長に意欲的であるのに対し、慎重な年配のリーダは短所是正により熱心な傾向があるようです。この両方をバランスよく対処していくのが大切であるということ言っているのだと思います。

ここで心得ておかなければ成らないことは、長所の伸長と短所の是正は同時に出来ないと言うことです。アメリカに、ロバはキックとプルは同時に出来ないというたとえがあります。「進め」の指示と「止まれ」の指示を同時に出せば、身動きが取れなく成るという言うわけですが、これは長所伸長と短所の是正にも言えることです。長所と短所は表裏一体で有り、長所を伸ばせば短所も増え、逆に短所を直したことで長所を殺してしまうこともあります。積極的な人は同時にウザイ人で有り、ウザさを無くすると積極性もなくなります。

さらに、経営者が短所と考えて是正したことが、実は顧客からは長所と受け取られていたと言うこともあります。道場運営にも同じことが言えます。

そうした弊害を避けるためにもその時の状況をよく見極めて、今期は(今年は)長所の伸長と短所の是正どちらから取り組むか決断をすることが必要です。

例えば、十年かけて改革に取り組む際は、まず最初の三年は長所を伸ばすことに専念する。次の三年で短所の是正に全力を注ぎ、残りの四年でバランスをとるというのも一つのやり方だと思いますね。

現在の状況下において、個人も組織も、己をよく見極め長所身長と短所是正に的確に取り組むことで柔軟に対処し、道を切り開いてゆきたいと思います。

 
 

連番356                             2017.8.26

     「教育勅語」を建学の精神に

山陰の山間の地で、「教育勅語」の精神に基づいて青少年教育を行っている高等学校がある。昨年創立55周年を迎えた立正大学淞南高等学校である。自国に誇りと愛情を持つ青少年の育成を通じて、教育に維新を起こさんとする理事長の岡崎朝臣(おかざきともおみ)氏に、同校の運営における思いを聞かせて頂いた。

岡崎朝臣理事長 昭和34年島根県生まれ。

岡崎理事長が教育者としていま一番憂慮しておりますのが、日本人から自信や誇りが失われ、それがもとで様々な混乱が続いていることです。 南京大虐殺や従軍慰安婦といった虚構がまことしやかに喧伝されているのもその一例ですが、これらはいずれも戦後、日本を卑下するような学校教育が行われてきた弊害に他なりません。と語ります。そこで、日本を希望に満ちた明るい国にしていかなくてはならないとの思いから、自分の国に誇りと愛情を持つ青年を育てることに力を注いでいます。朝礼もその一環で建学の精神を唱和。これらは教育勅語に基づき創案したそうです。

一 祖国を愛敬すべし

一 孝心を厚くすべし

一 仁愛を旨とすべし

一 礼儀を正しくすべし

一 信義を尊ぶべし

毎朝当番を決めて国旗掲揚をしたり、礼法の時間を設けて挨拶、礼儀、言葉使いなどの指導をしたり、校内の清掃や地域のごみ拾いをしているのもその一環だそうです。長年こういう教育をしていると、下級生は上級生を見習って自然と良い習慣を身に着けていく。学校にお客さんがお見えになった時や、学校のそばにある神魂神社で地元の方に出会ったときなども、きちんと挨拶ができるようになっているといいます。九割がた寮生活なので団結力が育まれ、部活動ではサッカーはインターハイで3回、全国大会で春夏一回ずつ3位に入賞。野球も二回甲子園出場、うち一回はベストエイト。マーチングは4年連続全国大会出場。

 
 

連番355                            2017.8.19

           自己を維新する

岩堀美雪先生の宝物ファイルプログラムの第2段です。小学校教師として点数以外に子供達を評価する方法が無かったことに悔しさを感じていました、「あなたには良いところがたくさんある」と伝えるのに、言葉以外に方法はありませんでした。と当時を振り返ります。

たまたま教育関係の本を見ていて、クリアファイルに学習で生み出されたモノをいれて評価に役立てる手法があると知ったとき、体中にビリビリと何かに感電したように衝撃が走ったと言います。「こんな風にクリアファイルを使って自分の好きなモノをいれていく手法があったとは」と、授業としてどのようなどのようなプログラムを実践していくか考え抜きました。

視覚的な効果や言葉の力もあるので、子供達の心がみるみる変わっていく様子が分ったそうです。「自信の無かった子が体育大会の応援団長に立候補して立派にやり遂げた」「荒れていたクラスが仲の良いクラスになった」「子供が親に反抗しなくなった」など大変な手応えを感じたんですけど、残年ながら誰も認めてくれる人がいませんでした。本を薦めてくれる人もいましたが、出版会社に原稿を送っても「心なんてモノは、今の時代はやりません」とすべて断れたそうです。

この活動を続けようと思っていた時に、担当するようになったのが学級崩壊状態のクラスでした。授業が始まっても席に着かない、下履きはかかとを踏んでスリッパ状態、うざい・きもいと汚い言葉を連発する。男女の仲も最悪。実際始めてはみましたが、宝物ファイルプログラムどころかクラスの運営自体も苦しく、夜も寝れず、ひと月で6kgやせるなど、鬱病寸前まで経験した。その時は子供の嫌なところ、悪いところ、ダメなところばかりを見つけてイライラしていた自分にはっと気づかされたそうです。そのクラスは大変だったが、卒業式の時、子供達全員が大泣きしたんです。一人の女の子が言った「先生、まさかこのクラスで、こんな楽しい日が来るなんて思ってもみなかったです」と言う言葉を聞いたとき、岩堀先生に大切な気づきを与えてくれるために現れてくれたと今は感謝していると言うことです。
 
 連番354                              2017.8.12

自己を改革する


岩堀美雪先生。昭和35年福井県生まれ。

たった一冊のフィルが人生を変える。自分の長所に目を向け、自己肯定感を高める「宝物ファイルプログラム」を開発し、学校教育、社会人教育で実績を上げている人がいる。元小学校教師の岩堀美雪(現一般社団法人)子供の笑顔代表理事)

小学生の子供達に伝えたメッセージと同じモノでも、その内容が会社経営にも導入し大きな成果を上げている会社も多くあるとのことです。

 宝物ファイルプログラムには子供版と大人版二つあります。その特徴を一言で言うと、自分の長所に目を向けて、自分事が好きになる。つまり、自己肯定感を高めるための具体的で効果的なプログラムだと言うことです。

 人間は自己肯定感が低いと他人の顔色ばかり気にして生きづらく成ったり、本来持っている力を十分発揮できなかったりします。

高くなると、家族や仲間のことがいつの間にか好きになり、毎日が楽しくなり、持っている力を十分発揮できるようになります。岩堀さんの夢は、そういう人達を増やして、日本からいじめや鬱病、自殺等を減らしたいという思いがあります。

 必要なモノは一冊のクリアファイルです。子供版であれば、表紙をめくったところに「みんな良いところがあるから、そのことを忘れないでね」といって、「自分の事を大好きになろう」「家族や友達の事も大好きになろう」と大きく書いています。これは岩堀先生が子供達にこうなってほしいというメッセージです。その後に書くのが、自分が頑張りたいことや夢、願いです。それを書き終えると、今度はクリアファイルのポケットに自分の好きなモノ、残したいモノを次々いれます。また、友達同士お互いの良いところを大きめの付箋に書いてプレゼントします。全員から貰った付箋を用紙に貼ってファイルにいれます。保護者の皆さんにもお願いしてお子さんの良いところを書いて貰います。最初は自分の良いところなんか無いと涙ぐむ人もいますが、その時、今見つから無くてもあとで見つけられるからねと伝えておくのです。そうすれば二学期終わる頃にかけるようになったとの事です。子供と保護者も成長し関係も良くなるとのことです。
 
 

連番353                              2017.8.5

ある図書館の壁に書いてある言葉が熱い

 

.今居眠りすれば、あなたは夢をみる。今学習すれば、あなたは夢が叶う。

.あなたが無駄にした今日はどれだけの人が願っても叶わなかった未来である。

.物事に取りかかるべき一番早い時は、あなたが「遅かった」と感じた瞬間である。

.今日やるほうが、明日やるよりも何倍も良い。

.勉強の苦しみは一瞬のものだが、勉強しなかった苦しみは一生続く。

.勉強するのに足りないのは時間ではない。努力だ。

.幸福には順位はないが、成功には順位がある。

.学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。

.苦しみが避けられないのであれば、むしろそれを楽しめ。

10.人より早く起き、人より努力して、初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。

11. 怠惰な人が成功する事は決してない、真に成功を収める者は徹底した自己管理と忍耐力を備えた者である。

12. 時間は、一瞬で過ぎていく。

13. 今の涎は将来の涙となる。

14. 犬の様に学び、紳士の様に遊べ.

15. 今日歩くのを止めれば、明日からは走るしかない。

16.一番現実的な人は、自分の未来に投資する。

17. 教育の優劣が収入の優劣。

18. 過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。

19. 今この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。

20. 苦しんでこそはじめて進める。

 
 

連番352                            2017.7.29

日野原重明先生から学んだ今を生きる

生涯現役を貫いてこられた、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さん(105歳)が
ご逝去されました。105歳に成られても現役でご活躍されていました。病院の仕事以外にも講演活動等をされてました。心より哀悼の意を表します。

 活動の一つとして、2年前から2週間に1回は 小学校に出向いて、 10歳の子どもを相手に 45分間の授業をやっていました。 最初に校歌を歌ってもらい。 前奏が始まると子どもたちの間に入って、 日野原先生がタクトを振ります。 すると子どもたちは 外から来た年配の先生が 僕らの歌を指揮してくれたというので、 心が一体になるんです。 日野原先生がが一貫してテーマとしているのは 命の尊さです。日野原先生は語ります、
 「自分が生きていると 思っている人は手を挙げてごらん」 と言ったら、全員が挙げるんです。「では命はどこにあるの」 って質問すると、 心臓に手を当てて「ここにあります」 と答える子がいます。 日野原先生はは聴診器を渡して 隣同士で心臓の音を聞いてもらって、 このように話を続けるんです。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。 命とは感じるもので、 目には見えないんだ。 君たちね。 目には見えないけれども 大切なものを考えてごらん。 空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの?  でもその空気があるから 僕たちは生きている。 このように本当に大切なものは 目には見えないんだよ」と。 それから日野原先生が言うのは「命はなぜ目に見えないか。 それは命とは 君たちが持っている 時間だからなんだ。 死んでしまったら 自分で使える時間も、なくなってしまう。 どうか一度しかない自分の時間、  命をどのように使うか しっかり考えながら 生きていってほしい。 さらに言えば、 その命を今度は 自分以外の何かのために 使うことを学んでほしい」と語ります。
日野原先生の授業を聞いた小学生からある時、日野原先生に 手紙が届きまました。そこには「寿命という大きな空間の中に、自分の瞬間瞬間をどう入れるかが 私たちの仕事ですね」
と書かれていた。10歳の子どもというのは、 もう大人なんです。あらゆることを ピーンと感じる感性を 持っているんですね。
 
 

連番351                             2017.7.22

          ホリエモンの今を生きる

ホリエモンのある講演会より、SNSの世界では、新しい技術を開発して、勝手に世の中を変えていってしまっています。自分で出来るだけ多くの情報に接することがまず大事です。現在は情報にすぐに辿りつくことができます。それだけじゃダメですれからは、そうやって仕入れた情報を、自分の頭で考えて、そして自分で発信して、頭の中を整理して自分で考える癖をつけていかなければいけないです。

 

それはどうやってやるのか?インターネットでブログや、ソーシャルネットワークやら、そこで毎日発信し続ければいい。そうすることによって、世界中の様々な情報を自分で頭の中に入れて考えて自分なりの判断ができるようになると思います。 おそらく、努力をしない人たちというのは、取り残されていくことになると思います。 だけれども、未来を悲観することはないです。未来は、皆さんの、心がけ次第だと思います。みなさんは私を、知ってる方からすると、ジェットコースターのような人生を送ってきたと、思われてるかもしれません。そして、数々の失敗を繰り広げてきたと思ってるでしょう。そして、たとえば部下から裏切られたとか、信頼してる人から裏切られてつらくないんですか?とか、恨んでないんですか?とか、すごく聞かれることが多いです。でも、僕は悪い事は忘れることにしています。去を悔やんでも、良いことは何一つないです。ただし、これからたぶん、みなさん、どんどん失敗していくと思います。チャレンジをするってことは失敗をする確率も上がるってことです。逆にいうとチャレンジしなければ、失敗することはないかもしれない。でも、成功することもあり得ない。だから、失敗した時にいい処方箋というは、失敗した段階で、再発防止策をとる。その場で考える。そして、考えたら、酒でも飲んで、騒いで忘れる。次の日にはすっぱり忘れる。私はそうしています。そして、これから自分たちがチャレンジしていくことは必ずうまくいくと、思い込むことです。 過去を悔やんでる暇はみなさんにはないはずです。なぜなら、これから、グローバル化で競争激化して、そして、未来には僕は楽しいことしかないと思います。それは、どうやったら楽しくできるか。それは今を一生懸命生きることです。なぜ私が、いろんなことにチャレンジをして、そして、いろんな失敗をしながら、そしてたくさんの人に裏切られながらも、こうやって楽しく生きられてるかっていうのは、今を生きてるからです。今を集中して生きてるからです。未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きる。これが一番大切なことだと考えています。

 
 

連番350                              2017.7.15

自律神経君いろいろ

最近、他の人を見ててすごく思うことがある。それは、楽天的な人は、楽天的になれるようなことがしょっちゅう起こっているように見えるし、逆にいつも不平不満とか「どうせ俺なんか」とか思っている人は、つぎからつぎへといろいろ問題が出ているように見える。あくまでも「見える」ということで、実際はいろんな人にいろんなことが起こっているんでしょう。きっと明るく振る舞っている人は、それなりに努力して、苦労しているのを人に知られないようにしているのだと思っていた。ところが、どうもそれだけとはいえないみたい。私たちは、自律神経のおかげで、別に意識しなくても、24時間心臓や内臓が働いている。この自律神経君、どうやら、主語を認識していないようです。たとえば、「私が転んだ」も「〇〇が君が転んだ」も、転んだのは私と認識(意識)するらしい。しかも、この自律神経君、想像していることと現実に起こっていることの区別が付かないみたい。たとえば梅干しを見たら、唾液が出てくるなんて言うのは、自律神経君のせい。つまり、悲しいことが現実に起こって無くて、想像だけだったとしても、自律神経君は「悲しいことが起こった」と認識し、内臓や血管は収縮したり、堅くなったりいろいろ変化するわけ。恋してる女性はきれいと言われます。勝手に恋してる人と海辺を歩いていることを想像したり、おいしい物を一緒に食べているのを想像するからかも。そうすると自律神経君はそれが想像の世界とは知らないから、血管は幸せ一杯で拡張して、毛細血管のすみずみまで新鮮な血液がながれるからかも。それで肌の調子も良くなるし、髪のつやも出てくるのかも。

ならば、楽しいことを想像したもん勝ち、言葉にしちゃったもん勝ちですね。どうやら自律神経ちゃんはロックオンしちゃうと、後はお任せモードで良いみたいです。特に朝一番と、夜寝る前にそういう、嬉しいこと・楽しいこ・しあわせなことを想像すると良いそうですよ。 笑いは自律神経にはとても良いとのことです。

 
 

連番349                          2017.7.8

仏教・儒教・哲学・神学(神道)

 

仏教・儒教・哲学・心学(神道)が日本には、根付いています。

日本人の道徳性、心というのは世界的に突出していると思います。大震災以来、世界の人もそれを認めるようになってきたと思います。日本は仏教国ですが、日本の仏教の祖はお釈迦さんで、一番偉い人でもお釈迦さんよりは偉くないでしょう?

 

日本で漢文、儒学を勉強した人がいますけれども、孔子さんがそのトップでしょう?

 

日本の哲学者でうんと偉い人がいるけども、ソクラテスよりは偉い人はいないでしょう?

 

ところが、日本の道徳性はどう考えても、世界最高の一つなんです。
 江戸時代に心学というのが出ました。世界に類がないから、あまり世界で取り扱われていないけれども、世界が思想的にまともになるとすれば、日本の心学が一番いいと思います。心学は、まず人間には心があるところから始まるんです。


 その心は日本では三種の神器の勾玉にたとえられています。玉のような心ならば磨けばいいじゃないかと。

 

磨き砂はなんであるかといった時に、仏教の教えでもいいし、儒教の教えでもいいし、神道の教えでもいい。なんで磨いても立派な教えで磨けばいいんです。世界の宗教、哲学の常識を180度変えた、というのはそこなんです。キリスト教徒はキリストに従うのがいい。仏教徒は仏教の教えに従うのがいい。ところが日本の場合はもう一つ高い視点があります。

 

 まず人間に心があるというのは厳たる事実です。その心は磨けるものである、という発想が日本にあるんです。これは勾玉がたまたま象徴されたことから来たと思いますが、いかなる違った宗教でも立派な教えであれば、自分の心を磨くことができる。これは世界に誇るべきことです。日本にはその考えを普及して、日本人の道徳水準を上げた実績が大震災であると思います。

 
 

連番348                             2017.7.1

人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)

ノーベル賞受(iPS細胞)中山教授の座右の銘です。

人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)は幸せや災いというのは予想ができないものだ、という意味です。少し補足すると幸せだと思っていたものが不幸の原因になったり、禍(わざわい)の種だと思っていたのが幸運を呼び込むことがある、という意味も含んでいます。
これは、次の故事に由来します。むかし、中国の北方の塞(とりで)のそばにおじいさんが住んでいました。ある時、このおじいさんの馬が逃げ出してしまったので、近所の人が気の毒に思っていましたがおじいさんは「このことが幸運を呼び込むかもしれない」と言いました。しばらく後に、逃げ出した馬が戻ってきました。しかも、他の馬を連れてきておりそれは、とても足の速い立派な馬でした。近所の人が喜んでいると、おじいさんは「このことが禍(わざわい)になるかもしれない」と言いました。すると、この馬に乗っていたおじいさんの息子が馬から落ちて足を骨折してしまいました。それで近所の人がお見舞いに行くと「このことが幸いになるかもしれない」
と、おじいさんは言いました。やがて、戦争が起き、多くの若者が命を落とすことになりましたが、おじいさんの息子は足を怪我していて戦争に行かなかったため無事でした。
……という話です。
「このじいさん何言ってんだ」などと思うなかれ、彼は占いが出来たのです。これは中国の「淮南子(えなんじ)」という書の「人間訓(じんかんくん)」という部分に載っている話で、
禍と思っていたのが幸運の原因になり、幸運と思っていたのが禍の理由になり、さらにそれが幸運となった、というややこしい話ですが、ようするに幸や不幸は簡には予想できないということになります。
なお、塞翁が馬の
「塞」は砦、要塞という意味で「翁(おきな)」はおじいさんです。「塞翁」だと砦のそばに住んでいるおじいさん、ということですね。人間万事の「人間」はここでは世の中、世間ということなので「人間万事塞翁が馬」だと、世の中のことはすべて何が幸いして何が禍するか分からないものだという意味になります。

 
 芦田愛菜ちゃん

連番347                             2017.6.24

努力は必ず報われる

【努力は必ず報われる。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない】厳しくも説得力のあるお言葉だと思います。王貞治さんの言葉です。王貞治さんほどの方が仰られるからこそ説得力あるんですね。芦田愛菜ちゃんはご家族過ごしているときにお父さまから教わった、この王貞治さんのお言葉を今でも座右の銘にしているとの事。中学受験勉強中の時は、朝から晩まで机に向かう日もありましたが、このお父様から教わった王さんのお言葉を思い出しながら、ストイックな努力で乗り切ってこられたとの事。芦田愛菜ちゃんのような優秀なお子様でも、最後の最後はストイックな努力があればこその最難関中学校の合格であったのだなと強く感じました。芦田愛菜ちゃん中学受験を乗り切れた王貞治さんの言葉、中学では英語を頑る

      

中学受験成功がゴールではないのは、芦田愛菜ちゃんももちろん同じだと思います。芦田愛菜ちゃんほどのお子様が、最難関中学校に入学された後、何を目指していくのかな?と興味を持たれるのは私だけではないと思います。そのことについても、触れていました。芦田愛菜ちゃんは、まもなくスタートする中学生活の中では『本格的に英語の授業が始まるのでとても楽しみ。中学校では英語を頑張りたい』との事。続けて『外国の方との日常会話ができるくらいになるまでが目標です』と既にどれくらいかという目標を立てているあたり、さすがだなと感じました。もう近い将来には英語がペラペラの芦田愛菜ちゃんをテレビで見れるのだろうなと私は確信に近い思いを感じました。『努力は必ず報われる。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない』芦田愛菜ちゃんが座右の銘としている王貞治さんのこの言葉を、私自身も心に留め、そしてこれから中学・高校受験を控える皆さんにも教えてあげようと思いました。

 
 相田みつをの残した言葉
横田南嶺・相田一人 対談

連番346                             2017.6.17

優先順位を何処に定めるか

 先日、鎌倉の円覚寺へ行って参りました。その関係で管長の横田南嶺さんの映像を拝見し、相田一人さんとの対談で興味深い話がありましたので、ほんの一部ですが紹介したいと思います。

 

『優先順位を何処に定めるか!』

白隠禅師の話を相田みつを氏はよく話していたと言います。白隠禅師を尊敬しているある商人の方がいて、その娘さんが身ごもったと。娘さんは白隠禅師の子供だと言えば、父親に許してもらえるのではないかと、悪知恵を働かせて嘘をついた。それを聞いた父親は、娘に手をつけるとはとんでもない坊さんだと激怒し、赤ちゃんを抱いて禅師のところへ行き、「これはあんたの子だろう」と詰め寄る。どういう対応をするかと思ったら、「ああ、そうか」と言って、赤ちゃんを受け取ったんですよね。父親はますます「やっぱりそうだったのか」と憤慨して、家に帰った。その後、禅師がお乳をもらいに歩き回る様子を見て、娘が白状する。「実は別の人の子供なんです」と。それで父親は平身低頭して禅師に謝罪した。何か嫌みでも言われるかと思ったら、禅師は「ああ、そうか」といって赤ちゃんを帰したと言うんです。

その時、白隠禅師が何を考えたかというと、自分が父親であるとかそうじゃないとか言うことよりも、生まれたばかりの乳飲み子の命を助けることが大事なんだと。で、その後母親が現れたときには、やはり子供は母親が育てるのが一番良い訳ですからすんなりと返した。だから、その時どう動くかと言うことについて、判断基準や優先順位がはっきりしているってことです。人間ですからどうしても自分の評判を気にしたり、よく見られたいと言う気持ちが入ってしまう。今、目の前にいる子供の命、そこに焦点が定まっていたから平気だったんでしょう。これは難しい、なかなかできることではありません。「ああ、そうか」と言うだけで、それ以上、反論も追求も何もしない。そこまで行けばたいしたものです。

我々にはまねはできない神業です。でも、優先順位を何処に定めるかという重要性は非常に腑におちます。
 
 

連番345                            2017.6.10

すべては心一つの置きどころ

【 まごころの ひとつ心の こころより よろづの事はなり出(いで)にけむ 
(すべてのことは自分の心から 生まれ出てくるものだ)
                                                 
 ――山岡鉄舟
心というのは面白いものだ。自分の心なのになかなか思うとおりにならない。人の一生も、ふっと心に思い浮かんだことから今に至る。そう考えると、我々の心次第で自分の人生はどうにでも変えていくことができるわけだ。ところが、人はしばしば自分が何かに束縛されていると考える。だから自分の思うようにいかないのだ、と。しかし、すべてが心で成り立っているのだから自分を縛っているのは自分にほかならない。
だからこそ大切なのは、自分の心をしっかり見極めていくことなのである。

 

「山岡鉄舟の臨終の見事さ」
「山岡鉄舟の武士道」の中で勝海舟がこう言っている。「山岡死亡の際は、おれもちょっと見に行った。 おれが山岡の玄関まで行くと、息子、今の直記が見えたから「おやじはどうか」というと、直記が「いま死ぬるというております」と答えたから、おれがすぐ入ると、大勢人も集まっている。その真ん中に鉄舟が例の坐禅をなして、真っ白の着物に袈裟をかけて、坐している。 おれは座敷に立ちながら、「どうです。先生、ご臨終ですか」と問うや、鉄舟少しく目を開いて、にっこりとして、「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる」と、なんの苦もなく答えた。 それでおれも言葉を返して、「よろしくご成仏あられよ」とて、その場を去った。 その後、聞くところによると、おれが山岡に別れを告げて出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日よりはるか前に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。 なお、また臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、妙然として現世の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったそうだ。 とてもまねは出来ないが、心の置きどころとしては、是非こうありたいと思います

 

                       立腰教育 

連番 344                         2017.6.3

腰骨を立てる

  人間として大事なこととの一つとして、いったん決心したら、たとえ石にかじりついても必ずやる抜く人間になること。我が子をそのような人間に育てる上で非常に有効な秘訣、それは腰骨を常に立てている人間になることだと多くの人が言ってます。腰骨が立ってなく、姿勢が悪くなっているとやる気は沸いてきません。元気・根性・粘り強さと言ったものは、腰骨を立てることによって養われるようです。腰骨を立てることによって、血液の流れ、神経の流れ、リンパの流れ、気の流れが良くなり、身体全体が良くなり、元気になるようです。

朝起きてから夜寝るまでに、常に腰骨を曲げずに立て通しているような人間になることは精根(心身の精力と根気)の入った子供にするには極秘伝であると説かれています。心は体に大きく左右されます。体の線をきちっとすれば自ずと心もシャキッとしてきます。千利休が茶道をを創始する際に、あれほど細かに作法を定めたのも心を整えるためです。武道で型が重要視されるのも同じ理由です。この腰骨を立てることを伝授するには、これが人間の一生に於いて一番大事なことであると良く納得させることです。もし腰骨が曲がっているところを見たら後ろから、後ろから黙って手を当てて撫でてやることです。一切小言を言ってはならないと森信三先生は言っています。腰骨を立てると言うことは、人間として一切の元であり、親が真剣に取り組まなければとうてい身につきません。

森信三先生のことば(立腰教育)

つねに腰骨をシャンと立てること、これ人間の根性の入る極秘伝なり。

人間は身心相即的存在故、根性を確かなものにしようと思えば、まず躰から押えてゆかねばならぬ。それゆえ四六時中、「腰骨を立てる」意外に、真に主体的な人間になるキメ手はない。「腰骨を立てる」ことは、エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。この一事を我が子にしつけ得たら、親として我が子への最大の贈り物と言って良い。

   腰骨を立て

   あごを引き

   つねに下腹の力を抜かぬ亊

同時にこの三つが守れたらある意味では達人の境といえよう。
 
 連番343                        2017.05.27          
笑い

現役のフリーの産科医であり、元気で長生き研究所 所長 昇 幹夫さんがおもしろい!笑いは百薬に勝る。
 “ウツ“をはじめ心の病気が増えています。日本全体で八百万人とも1千万万人とも言われております。 大変な時代です。 戦後豊かになりたい、そう思って頑張って手にしたものと失ったものを比べた時バランスシートはどちらに傾くか。 20世紀は、もっともっとというかけ声のもと誰が一番、だれが二番と団塊の世界に象徴されるように、生まれた時から絶えず競争させられる時代でした。 そろそろちょっと人生を見直す時期、それが還暦だと思いませんか? 還暦を迎え久しぶりの同窓会で酒と薬を交互に飲みながら話題といえば健康問題ばかり。
去年入院してねとか、最近俺はアルツハイマーじゃないかと思うんだとか、あげくの果てにあいつ死んだんだってとか一人一人病気自慢じゃないけれどあっちが悪い、こっちが悪いという話ばっかり、です。 たまに、おかげさまでどっこも悪いとこもなくてというやつがいるとみんな目がテンになって「ホンマか!この年まで来て文明人ならひとつくらい悪いところあってあたりまえだ、お前野蛮人か!」  これは体が悪いのでなく、口が悪い病気、でした。
 顔はあなたの生活、健康、人生を映す鏡。京都にある市立美術館はいい作品が展示されていることで有名です。10年前にここで美人画の展覧会が開かれ大阪のおばちゃんが喜んで見に行きました。 竹下夢二の大正時代の美人画、浮世絵の美人画とずーっと見ていったら、ピカソの画があったので係りの人に文句を言いました。 私は美人画の展覧会ということで楽しみに来たのに、なんでこんなとこにピカソがあるの? 係りの人は困って言いました。「奥様、それは鏡でございます」      (笑えた人は大丈夫・・・)

  

   

連番342                         2017.05.20

幸せバリアを作る

少林寺拳法は幸福運動である。幸せバリアをつくりその中で過ごせば幸せに過ごせる。では、幸せバリアの作り方はどうすればいいのだろうか。 地球上のすべての存在物は、『意志』(陽子)と『意識』(中性子)が結びついて構成されている。 意志とは愛であり、(陽子)。意識とは感情であり調和の波動であり(中性子)である。 すなわち、愛と調和が、すべての素になっているということです。  今武道界でも、究極の武道は調和であり、愛であると宇城憲治さんも山﨑先生も言い続けています。
 足立育郎さんの書籍『波動の法則』にその本質を科学的に説明しています。愛はやさしさ、調和はバランス(中庸)。そこに光というエネルギーを加えると明るい極楽方向に波動が向かうということが理解できます。 わかりやすく言えば 愛(やさしさ)と光(明るさ・上機嫌)を、何があっても絶やさず今を生きること。これ即ち、幸せバリアをつくる事。
 私は愛と光を続けます。これは人生の大切なナビである。普通ちょっと嫌なことがあると、人の心はすぐに悪魔の領域に心が傾く。 だから、どんなことがあっても、自分の心を『愛と光』のダーマ(神様)の領域に、忍耐強く於く癖をつける。 どんなことも人のせいにせず、一つ一つ愛と光で忍耐強く解決していく。 これが魂の成長であり、人生に奇跡が起こる道のようです。

 幸せの正体》
 人間というのは、放っておくと、『心配なこと』とか『不幸なこと』とかマイナスな考えが心に出てくるようになっているらしい。 『心配』とか『不安』はもともと人間が生きるための防衛本能で人間を守るために潜在意識の中に備わっているもののようです。 昔に比べると現状はヒマが多いこの暇が、心配や不安をどんどん湧き上がらせている。 そうすると、自分の心が不幸な心(ネガティブマインド)に、支配されてしまう。 だから、不安や心配だと感じたら、自分はヒマなんだと気づくこと。心配事の正体がわかれば、不幸って大したやつじゃないということが分る。 幸せの正体は、自分の意思。この意志は人間が幸せになるためのである。 幸せの正体がわかった人には、いつでもどんな時でも、幸せなことしか起きない。 だから人は、気づけば、いつからでも幸せになることができる。 いつも自信を持ちふるまえばいい。これが仕事だろうが商売だろうが、人生だろうがうまくいくコツのようです。 完璧にやろうとするよりも、失敗を恐れないで、どんなことにも挑戦したほうが楽しい。人間はどんなにできたって78%の出来らしい。100%出来るというのは神様の領域。 笑いは人生の潤滑油であり、幸せのスイッチ。失敗やアクシデントがあったら、それを笑いにかえる魔法のスイッチを入れよう。 と斉藤一人さんは言います。天風さんは潜在意識をコントロールし好転させる方法を説きます。

 
 
                             素直な心 

連番341                        2017.5.13

私は縁があり松下電器産業株式会社(現パナソニック)に入社し、卒業しました。私どもの会社の至る所に『素直』と書かれた額が飾ってあります。松下幸之助の直筆です。松下幸之助氏は『素直な心』が成功の要と考えておられました。松下幸之助氏は、「自然の理法は、一切のものを生成発展させる力を持っている」と考えていました。だから、素直な心になって自然の理法に従っていれば、上手くいく。世の中は成功するようになっていると言っておられます。

ところが、私たちにはなかなかそれができない。自分の感情にとらわれる。立場にとらわれる。地位や名誉にとらわれる。自然の理法になかなか従うことができない。それ故、かえって状況を悪くしてしまう。無用な苦労をする。望むような結果が得られない。一人一人のとらわれが、争いになり、つまるところは戦争にまで至る。自然の理法に従うならば、もともと人間には進歩発展する本質が与えられている。言葉を替えて言えば、繁栄と平和と幸福を実現する力が与えられている。「それが上手くいかんというのは、とらわれるから。素直でないから。だとすれば、素直でないといかん、と。素直な心こそが人間を幸せにし、また人類に繁栄と平和と幸福をもたらすものであると、私はそう考えたんや」と言っています。しかし、松下幸之助氏の言う素直な心とは、人の言うこと何でもハイハイと答えるということを言っているのではありません。無邪気な心のことでも無ければ、幼児の心のことでもない。それだけでは本当の素直な心ではない。本当の素直とは、自然の理法に対して、すなわち本来の正しさに対して素直であること、そういうことやろな」と答えられています。

正邪、善悪、表裏の存在を知りながら、なおかつそれにこだわらない。偏らない。単なる無心でもない。自分が悟ればそれでよしするものでもない。素直な心になることは、決して易しいことではない。自然の理法はやるべきこと、なすべきことをやっている。早い話がお日様はきちんと東から出る。西に沈む。春が来て、夏が来て、秋が来て、そして冬が来る。人間もやるべきこと、なすべきことをきちんとやれるかどうか、自然の理法に従うというのは決してそう易しいことではない。「わしはそういうようなことを自ら考えながらやってきた。宇宙万物自然というものが、わしの先生でもあったわけやな。」と経営の神様、松下幸之助氏は言ってます。

 
     
    連番340                            2017.5.6

            その時どう動く

昨年、石川県に歌手の加山雄三さんが野々市にコンサートに来て、家内と見に行ったことがあります。

来年80才とは思えぬ若々しさだがありました。父親の上原謙さんが事業に失敗、その後始末で大変な苦労をされた時期があったという。こうした苦労を乗越えたのは「おばあちゃんのおかげと語ります。「おばあちゃんは僕が子供の頃から何かあると、おまえは今、試されているんだ、と言ってました、また、荷物が重いのではない、自分の力が足りないのだ、とも言われました。この二つの言葉が僕を支えてくれたのだと思います」 と加山さんは語り、試練の時おばあさんの言葉で乗り切ったとと言います。

人生には三つの坂がある、とよく言われます。上り坂、下り坂、そして、まさかーーー。上り坂、下り坂の時は、そういう坂に来たのだと心の準備がまだ出来るが、突然くるまさかは準備する余裕がない。人生最大、最難の時といえます。そのときどう動くか?

常岡一郎氏のそのときは、大学卒業直前にきた。肺結核で血を吐いたのだ。当時の結核は死病。訪れる人もなく病床で悶々とする日々の中、ある人の 「比叡山に徳の高い人が住み、訪れる人が後を断たない、あなたも徳を積んで病気と縁を切りなさい。」と言う言葉に、大学を中退。トイレの掃除道具を柳行李(ヤナギゴウリ:にもつをいれ箱)に詰め、全国各地を奉仕修行、「病を治すことを止め、病で自分の性格を直す」ことに全身全力を尽くして15年、ついに結核を完治した。その常岡氏の言葉。「何処に投げ出されても、だるまは転がっていく。そして、踏みとど待ったところで、すっと立ち上がる。それは、重心が重く、低いところにあるからで、人もそうである。どんなところに投げ出されても良い。行き詰まる、止まったところで真っ直ぐ立ち上がれる人にならねば成らない。そのためには徳を積み上げて行くと良い。力に満ちた、重心の低い、豊かな魂の人になると良い。」この覚悟で生きる人はあらゆる、まさかを超えていく人だろう。

『面今:ニコン』という、禅の言葉がある人生には今というこのときしかない一瞬一瞬が勝負の時という自覚を持って生きよ、そのときは突然来るのでない。今がその時、その時がいまーー。この自覚を持って日々をつとめきる。そこに『その時どう動く』の解があるように思える。

 
     
   連番339                      2017.4.29

             断捨離とは

断捨離やましたひでこ。クラタ―コンサルタント。『世界の断捨離』 提唱者。

家のがらくた=心のがらくた。頭のなかのがらくた、混乱・混沌を解決していくには見えるもののがらくたを、あるいは家の中の空間を整えていけば直る。そこで、目の前にみえるものの片付けを始める。クラターを解消するメソッドとして断捨離の概念を使っている。やましたひでこさん、実は私の家の近距離(200m隣)。やましたさんは言う

断・捨・離の漢字は全部引き算の言葉、たつ・すてる・はなれる、全部引き算。

家の中にある余分なもの、不要なものを引き算して片付ける。同時に自分の心の中にあるいらないものを引き算する。新しい片付け術。を減らすと、心も片付く。断捨離は仏教用語であり、断行、捨行、離行。行とは行動の行という字であり、つまり、行うという意味です。本を読んで、話を聞いて、学ぶと言うことではなく、自分で行動して体得していくと言う意味。実は行法哲学 なんです。とやましたひでこさんは言う。

何のためにするのか? ここが哲学です。素晴らしいところです。

心の中の執着を断ったり、執着を捨てたり、執着を離れたりするための行法です。

断行とは、断食したり、捨行とは、出家したりとか、離行とは、執着から離れる。

物と一緒に執着心も手放せるのであれば、物が自分の執着心を写し出しているのであれば、物は、ものはものとして存在してるのですが、私たちはそのものにいろんなものを貼りけるるんです。(もの+思い) 自分がこの物にどのような思いをつけるか?人からもらったものなのか、なけなしの金を払って買ったのか、物にはストーリーがあるわけです。よく考えると物には意味はついてない、意味をつけてるのは自分。この思いがポジティブな楽しい思いならいいのですが、重たい思い、つまり、こだわり憎しみ、執着であれば、そこにあることで、自分にどういう影響を与えるかということが全く違ってくると思う。なので、物によく向かい合ってどんなも思いを持っているかが大事で、残すべきものは残し、手放すべきものは手放す方が心が軽くなるのであれば手放した方がいいよというのが、断捨離のある意味片付けのスタイル。まずこの思いに気が付く。そしてこの物を手放していこうと言うものです。そうするとどうなるか?この思いが=重い 物であるならば、これそのものを手放すわけですから、非常に心が軽くなるわけです。行動自体はものを手放すことですが、本当に心が軽くなる。そういう片付け術ということです。物の形づけ術、空間の片づけ術でありながら心の片づけ術であるということ

 
     
 

   連番338                        2017.04.22

         ヨーガからの学び(沖 正弘)


沖正弘氏は日本のヨーガ創設者です。ヨーガは、自然と一体となって生きるのがポイントのようです。自然現象とは、プラスとマイナス、陰と陽、生きることと死ぬこと、生産することと消耗すること、こうした二つの協力によって成り立っている。少林寺拳法で言うところの拳禅一如・力愛不二と同じことのようです。生きると言うことは生きていることが目的であり、生きるために生きている。正しく生きると言うことには、そこに愛が必要と説いています。

ヨーガは、命には言葉(気)がある。命には形・姿(呼吸)がある。常に良い気分に成るように、楽な生き方を出来るように自分でコントロールする。常に命に対してどのように生きるかを考える求道生活を求め、そこに目的を見いだしていこうとしているようです。

強化法:すべてを笑いの呼吸で行うこと。笑いの呼吸とは、笑いの時のように吐ききり、大きく吸いきる。いかなることも、全身で行うこと。呼吸は丹田で行うこと。実技:吐く時は、体全体で前に倒し吐ききる。吸うときは手と顔を上げて吸い、小刻みに吸い込み笑いながら吸う。指で片方の鼻の穴を押えて脈に会わせて吸う。右の鼻から吸うと緊張。左の鼻から吸うと弛緩。

上虚・下実(じょうきょ・かじつ)下の方は力が入るように上の方は

力が抜けるように注意集中(目)。呼吸は肛門に力を入れる出来るだけ肛門がしまる様な呼吸を。出来るだけ目に集中するように。これを、目を活かし、丹田を活かすという。この二つが丹田を養う方法。

基本ポーズ:自由自在な心を持つための自由自在な体。真の心と美を作るための行法として、一つ一つの動作の中で、体の特定の部分で意識を集中させる。動作と呼吸を一致させる。いわゆる動く禅のようです。

その他の特徴として、深い呼吸法。合掌の姿と心の置きどころ。瞑想の心と実際。親睦の宴。断食。治すヨガetc。奥は深いようです。

 
   
 

連番337                             2017.04.15

         それもまたよし ほととぎす

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」(織田信長)


「鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす」 (豊臣秀吉)


「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」 (徳川家康)


戦国武将の3人の有名な俳句ですが、

 

「鳴かぬなら、それもまたよし ほととぎす」 

と詠んだのが「経営の神様」と謳われ、

いまなお多くの人々を惹きつけてやまない松下幸之助氏の俳句です。


俳句には、それぞれの性格が見事に表れているのを感じますが、
「それもまたよし」という句には、

9歳(小学校4年生)から丁稚奉公に出て、
頭のさげ方から言葉遣い、身だしなみなど厳しい商人として、
また社会人としてのイロハを身に付け、
個人企業を1兆円企業へと育て上げた松下幸之助氏ならではの
人情味を感じます。



没後28年を過ぎた今でも、数々の言葉や教えは
色褪せることなく、いまなお多くの人々の道を照らし続けています。

 

連番336                          2017.04.08

             俯瞰力を磨こう

<俯瞰(ふかん)の意味>
これは、「高いところから見下ろす」という意味です。例えば、高い山の頂上に上って下界を見るようなイメージ。または鳥になって街全体を見渡すイメージ。そんなのが「俯瞰」です。


「俯」は「ふす・うつむく」という意味の漢字。「瞰」は、「見下ろす」という意味の漢字。元々は「遠くをのぞき見る」という意味の漢字のようです。よって二つを合わせると、「伏せて見下ろす」という意味になり、高いところから真下を見るようなイメージになります。こうした、目先にとらわれず、高所・大所から見る目を持つことのようです。

状況判断を冷静に又全体的に見渡せる、これを出来る人は俯瞰的な人という。こういう人は一緒にいたいし、信頼できたりする。すなわち、良好な人間関係を持てる。

これに対して、近視眼的に見る人、狭い物の見方をする人、自分のパターンだけから物事を判断する人、あるいは反射的に相手の立場を理解しようとせず、自分の思い込みばかりを言う人を、『俯瞰的な人』の反対な言葉として、『残念な人』と言うと置き換えて見ます。

 

自分の心理パターンから抜け出せない人は残念な人となりがち。

残念な人は、他社からの評価も低くなりがちで、幸せになりづらい。

残念な人から抜け出すには、『Me First』(自己優先的)で生きること。

自分の心理的欲求を理解し、満たせば、人生は輝く。

 

最近は都民ファーストとか、アメリカンファーストが流行語になっていますが、ファースト『Me First』(自己優先的)で生きるというのもだいじな生き方の要素だと思います。


 

連番335                              2017.4.1

2017年度を読み解く

皆様お久しぶりです。石川県少林寺拳法連盟参与の高倉です。二年ぶりに人生訓話を再開する運びとなりました。あわてず、焦らず、気張らず、楽しく発信していきたいと考えています。ご意見等ありましたらお聞かせ願います。まず、今回は最初なので、すでに始まっている今年はどういう年になるかを、考えてみたいと思います。

今年は、丁(ヒノト)・酉(トリ)・一白水星(イッパクスイセイ)の年です。 

2017年(平成29年) 丁・酉・一白水星 (正式には24日から、旧暦)

今年の年を考えるとき、前提として三つの動きを注目したいと思います。

:宇宙に満ちる気、(十干:丁)

:地上にあふれる気、(十二支:酉)

:人間社会と生命全体を総括する気。(九星:一白水星)

 

十干(丁)  (十干とは宇宙を10分類・10本の柱として分けた)

これまでやってきたことに対して新しい動きが静かに育ち、やがて衝突する。

十二支(酉) (地上の気を12分類した。)

お酒を醸造する瓶(カメ)の象形文字で、底に溜まった麹が発酵してついに爆発し、新たな動きとして表面に出てくる。

九星(一白水星)(人間や生命体の世界を9つのサクセスロードと分類)

一滴の水から大河になる動き、気がつかないほど小さな始まりから大きく育つ要素がある。

 

2017年を構成する天・地・人の三気は、それぞれ革命の気を強く持ち、反発と新しい動き動きの爆発的なエネルギーを内在する。(シンギュラー・ポイントと言って一種の特異点を示す)地球全体の環境面を含め、世界経済・日本経済の激動が予測されます。その兆しが昨年度末から現れてきています、イギリスのEU離脱。トランプ米国大統領の誕生など。 


 

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     石川県少林寺拳法連盟参与  髙倉 賢哲 
  
      お待たせしました! 高倉賢哲の人生訓話 4月より再開しました! 
      皆さんの人生に共鳴を与える素晴らしい先人の教訓を掲載致します。
       合掌

     石川能美道院・石川辰口スポーツ少年団支部はこちら
                                    

参与 高倉賢哲



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お知らせ 更新日:9月16日
 石川県少林寺拳法連盟理事長
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