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連番405                            2018.08.04

                決   断

成功に必要なことは決めること。決断すること無しには、何も動かない。進学、就職、

転職、結婚、独立、などに関して、決断せずに先延ばしにしていると、ごく目先の安全

や安定は得られても、心が躍るような人生にはならない。

 

決めると、物事は動き出す。決めるスタート時点では、才能も、お金も、時間も、全く

必要ない。決断した瞬間にその未来は、同時に誕生する。決断した瞬間にその未来が、

時間とともに、向こうからキミの人生に近づいてくる。逆に決められないことは、キミ

の人生にやってこない。

 

だから、仕事、住む場所、結婚相手などから、ごく日常の事まで積極的に決めると良い。

決めることになれてきたら、もう一ランク上の決断が出来るように心がける。

「平面上で右に行くか、左に行くかと言う決断では無く、一つ上の階層から見て、その

意識で決断できるかどうか」でキミは全く違う世界へとジャンプできる。

一つ上の階層に行くと、今まで見えてなかった「新しい未来の世界が」見えてくる。今

までサラリーマンだったのが、独立して社長になると、全然見える世界が違って感じら

れるだろう。これが人生を変える「次元上昇」と呼ばれるもの。成功している人は、み

んなこうした人生のステージを変えるジャンプを繰り返し体験している。

 

「人間には出来ないと思った未来はやってこない。」「出来ると決めた未来はやってくる」

出来ると決断すれば、その未来は同時にできあがり、その未来が近づいてくるという事

なんです。

 

現時点で、何をどう決めたら良いかわからない場合は、「最高の未来を手に入れる」と

決めてしまえばいい。それが出来れば、想像力を駆使して、最高の人間関係、パートナ

ーや友人との関係、勉強、仕事、経済状況などをイメージすれば良い。「今の延長線上

にない、全く違う次元の未来」をイメージする。それさえ出来れば、感覚が変わり、日々

の行動が変わり出す。そうすると「最高の未来」が少しずつ、向こうからやってくる。

「最高の未来は、いつも、今の意識の外にある」「決断すること」と「人生を信頼する

こと」の両方を同時にすると幸せな結果につながる。

 

最後に「決めたことは、紙に書かないと実現しない。人生の全てを一瞬で変えることは

出来ない。だが、進む方向は、一瞬で変えることが出来る。」

 
 

連番404                         2018.07.28

偶 然 について

「偶然というものは、この世に存在しない」、船井幸雄さんの書籍に偶然・必然・ベスト

という言葉があったのを覚えている。大富豪からの手紙という本田健さんの本には、「偶

然というのは、この世に存在しない」とある。一つの出来事は偶然のようだが、大きな

視点で見ると、決まっていたかもしれないと感じるときがある。その時はわからなくて

も、後で振り返ったときに、複数の偶然の点が線に、そして線が面に見えてくる。私の

年になるとさらに面が立体に見え、人生ってこういう具合に出来ていたのかと思えるよ

うになる。

 

人生は、偶然と思えるような事が重なり合って出来ている。俯瞰して見てみると、きれ

いな「タペストリー」(室内装飾用の綴織 (つづれおり) などの織物。)のようだ。一見

すると、相互に関係ないよう身見えるけど、俯瞰すると、一枚の織物の絵柄になってい

る。今は実感できなくても深いところで、私たちも相互につながっている事がわかる。

 

人生では、物事が思い通りに行くときもあるし、進まないこともある。また、最悪だと

思ったことが後になって、あのことがあって良かった。と思えることもある。上手く帳

尻が合うように出来ている。これからの人生、すべてのことには意味があって、自分を

幸せにするために起こっているという可能性を確認したい。

 

「良いことも悪いと思うことも、いずれ自分の幸せにつながっていく」と分っていたと

したら、何を心配する必要があろう。「一見偶然に見える、意味のある必然」を(英語

でシンクロニシティーという)、どうやって見つければいいか? たとえば、カフェに

入ったら、知り合いがいないかぐるっと見渡すような事をする。また待合室なんかで普

段読まない雑誌を手に取る、カフェや電車で隣の人に話しかける、と言う様なことをや

ってみると良い。

 

「シンクロニシティー」をチャンスに変えられる人と、そうでない人の違いは、大きい。

誰にでも起きている「偶然の魔法」を自分の人生を飛躍させる為に使えなければ、わく

わくするような人生は望めない。

どんなことが起きても、それは自分を幸せにするために起こっているという感覚を持つ

ことが必要であると思う。

自分の直感に意識を向けて、偶然は必然という感覚を持ってこれから過ごしたいと思う。

 
 

連番403                               2018.7.21

三浦雄一郎 プロスキーヤー 冒険家  

三浦雄一郎氏。

富士山直滑降やエベレスト滑降、さらには世界七大陸最高峰からの滑降など、

20代からプロスキーヤー・冒険家として数々の歴史に残る偉業を成し遂げてきました。

2013年には、80歳7ヵ月で3度目のエベレスト登頂を果たし、世界最高年齢登頂記録を更

新しました。その冒険の原動力のひとつが、父・三浦敬三氏が90歳を超えて挑戦する姿でし

た。 できる、やれる!あきらめない身体が示す人間の可能性の証です。

【三浦裕一郎氏の言葉】

父(敬三)本人は、歩くのは別に不自由なことはないのですが、99歳になるとただ歩いていて

も若い連中みたいにはいかない。その不自由な身体で、しかも骨折を治してモンブランを滑り

ました。僕も一緒に滑ったのですが、全部滑り終わって、シャモニーのホテルの同じ部屋で、

父親がお風呂から上がってほっと一息ついた時に、父が「今生の別れのつもりだった」と言う

んです。「死ぬ前に自分は これだけはやりたい」と思ったのが、このモンブランのスキー滑走

だったと。だから99歳でも命懸けで氷河のスキー滑走をやったんだと言うんですね。僕は、こ

の父の言葉に感動しました。

その当時僕は6364歳になっていたのですが、その頃の僕は、血圧は高くなるわ、糖尿病だ、

腎臓がおかしいということで、検査を受けたら、医者に余命3年もないと言われたんです。

「えーっ! 70歳前に死んじゃうのか」と。そのくらい身体がひどいメタボ状態だったので

す。何しろ明け方に布団の中でぐずぐずしていると、心臓を何かにつかまれているような

痛みが出る。狭心症の発作を起こしているわけです。

「ああ、これじゃあ、本当に 余命3年なんだろうな」と。しかし「死ぬ前に自分でどうして

もやりたいということがあったはずだ」と考えたんです。それが、僕にとってはエベレストの

頂上に登ることだった。世界の頂点に立ってみよう・・・と。

 

それから足腰に重りをつけ、独自のトレーニングでメタボを克服。1年目は1kgずつ足に重り

をつけて、生活する。外出するときは背中にも10kgを背負って外出。2年目は片足に3kg3

年目は片足に5kg、最後には片足10kg・背中に30kgつけて歩いたと言います。そうやっている

内に、メタボは治っていき、膝が痛い、腰が痛いとと言うのも直ってしまった。それで、富士

山に行ったり、ヒマラヤに行ったり、そしてとうとう70歳でエベレストの登ることが出来たの

です。それで、75歳でもう一度エベレストに登りたいと思い登りました。大けが、心臓の不整

脈手術、それでも折れなかったエベレスト登頂の思いがあり、80歳で登頂。世界最高年齢登頂

記録を更新しました。

                                                     

 
 

連番402                              2018.07.14

息子・娘(古事記の意味)

 

ムスコ、ムスメに共通して 使われているムスは『君が代』の歌詞「苔の産()すまで」に使われている「ムス」です。 

「ムス」 は、草や苔が茂って繁殖する意味です。そこから 「生む(産む)」

「生まれる(産まれる)」という意味ももつようになったそうです。

その「産()す」に男性を表す「子」がついて「産()す子」になり、

女性は「産()す女()」になりました。

 

どうしてムスコに「呼吸」という

「息」の字を使うようになったのかというと、息は生命、息吹を表す言葉で「息」 という漢字にも、〈息をする〉〈生息する〉〈殖()える・殖やす〉という意味があり
「息」と「産す」は同じような意味をもつ文字だったそうです。

それで「息子」と書くようになったのです。

同じように自分のムスメを表す言葉で
「息女」があります。

息子も娘ももともとは、

命の誕生や子孫繁栄の喜びの意味がある

「産す」から来ているのです。

(はじめて読む人の古事記より:今野華都子)

 

 
 

連番401                           2018.07.07

お笑い人間 北野武          

 北野武は東京都の足立区で、 父・菊次郎と母・さきの間に 五男として生ま

れました。 武の母・さきは独自の教育論を持ち、教育を第一に考える女性でし

た。 若い頃から頭の回転の早い女性だった彼女は子どもたちの教育と成長を

何よりも大切に考え、そのためには 寸暇を惜しまず手を貸しました。

貧しかった北野家では、小さな裸電球の下の みかん箱のような机で、子どもた

ちが勉強をしていました。 しかし、父・菊次郎が帰ってくると 電球が明るく

て眠れないと怒鳴ります。 そこでさきがどうしたかというと、 大きな懐中電

灯と塩むすびを携えて、近所の街灯の下へ出かけていくのです。

そこでしゃがんで本を読む子どもたちを、ずっと懐中電灯で照らしていたと

 いうのだから驚きです。 武が幼少期に教育熱心な母に教えられて蓄えた教

養や考える力は、 タレント、映画監督、作家、教授など様々な分野にわたる活

躍の礎となりました。 母の存在があったからこそ、武の才能が育まれたのです。

 そんな母・さきですが、 武が「ツービート」として 有名になり始めた頃か

ら、 お金を母に納めるよう、しつこく訴えるようになりました。 武は母も金

の亡者になってしまったのかと半分あきれていたそうです。 しかし、後になっ

て 真実が明らかになります。さきが亡くなる数か月前のことでした。武は軽井

沢に母をお見舞いに行き、 その帰り際に姉から包みを受け取ります。 さきか

らだというのです。 包みを開けた武は息を呑みました。 それは彼名義の郵便

預金通帳と印鑑だったのです。 さきが武から小遣いとしてねだり 受け取っ

ていたお金は 一銭も使うことなく、すべて彼のために 貯金されていたので

す。 さきはいつも、「芸人はいつ落ち目になるかわからない」 と彼を案じて

いました。 彼の人気がなくなっても困らないようにとお金を貯めておいたの

です。彼はこの包みを握りしめ、 涙が止まらなかったといいます。 武は自ら

母のことが大好きだと公言しています。「30歳を過ぎて親を許せない奴はバカ

だ」 とも言っています。 海よりも深い愛情と熱心な教育、心を尽くした母・

さきの子育ては北野武の心に大きな影響を与え。類まれなる才能を育てたので

す。

 
 

連番400                             2018.06.30

           挫折を愛する人

スキージャンプの髙梨沙羅さん、金メダルを期待されていたものの、銅メダル。

今回の平昌五輪では、銅メダルと言う結果以上に、彼女の心の成長がすごい。オリンピ

ックは魔物がいるというのは、誰に負けたかというと魔物は自分である。

いつも通りの実力を出せない。これがオリンピックです。彼女はオリンピックの舞台で

失速する夢を見るんです。そこから彼女は風が吹こうが体調が悪かろうが、どんな時で

も絶対に自分のベストが尽くせるようにとてつもない努力を積み重ねていきました。そ

の結果あの銅メタルをとったのです。そしてあの夢があって良かった、あの夢がなかっ

たら今の私はない。あの夢が私を強くさせてくれました。と言ってました。

 

フィギアスケートの羽生結弦はすごい。何処がすごいかと言うと、一番は自分の心をキ

チッと言語化出来るところです。羽生選手は平昌オリンピックの約三ヶ月前に靱帯を損

傷する大けがをしました。直前の大会を治療やリハビリのために欠場してブランクがあ

った上に、痛み止めを打たないとジャンプも出来ない状態だったにも関わらず、勝たな

ければ意味が無いとの覚悟で本番の望み、男子シングルスで66年ぶりとなる五輪2連

勝果たしたんです。どんなオリンピックだったかの問いに、「とにかく捨てて、捨てて、

捨てる作業をしたオリンピックでした」といってました。世界ではじめて四回転ループ

という技を習得したのですがそれを封印してました。もう一つは自分の欲を捨てたと、

怪我をしてから欲や幸せも捨てたと言ってました。そしてオリンピックで何を得たかの

問いには「幸せを得ました」っていってます。

 

スピードスケートで金メダルと銀メダル獲得した小平奈緒も素晴らしい活躍。

一番日本人らしいアスリートであると思います。自分に勝つ方法を徹底的に研究。彼女

は本番に弱くて、自分には何が必要かと考え、強豪のオランダにスケート留学に行った

んです。そこで、「勝つためには相手を殺す闘争心を持ちなさい」と教わったそうです。

普通だったらその通りやると思うんですが、彼女は違いました。私は人を殺してまでは

勝ちたいと思わない。だったら、自分に勝つ方法を徹底的に研究しようと決意するんで

す。そこで何に目をつけたかというと、コーナリングです。直線コースはパワーのある

オランダが強いけれども、曲線コースは技術を磨けば自分の武器に出来ると。そこから日本独特の古武術を学んだんです。日本人には日本人らしい考え方、身体の鍛え方、戦い方があるわけで、それを証明してくれたのが小平さんです。ご承知のとおり、日本女子スピードスケート史上初の金メダル。

 

世界の頂点に立つ選手に共通しているのは「挫折」と「諦めない心」だと思います。

 

 
 

連番399                             2018.06.23

西 郷 ど ん

NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』が面白い。江戸城の無血開城、江戸末期から明治

初期にかけ西郷隆盛の足跡はあまりにも偉大です。西郷どんの残した言葉で、ま

ず上げなければならないのが『敬天愛人』です。「道は天地自然にして、人はこ

れを行うもの成れば、天を啓するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆ

え、我を愛する心を持って人を愛するなり」(道というものは、天地自然の物で

あって、人はこれに則って生きるものであるから天を敬う事を目的とすべきで

ある。天は他人をも自分をも平等に愛したまうから、自分を愛する心を持って人

を愛することが肝要である)人間は、自分の生死を自分でコントロールすること

は出来ず、天、即ち神(ダーマ)や自然と言った人知を越えた大いなる力のもとに

存在しています。どこかで聞いたことのある言葉だと思ったら、少林寺拳法の道

訓の内容と非常によく似ていますね。遺伝子研究の世界的権威村上和夫先生の

話によれば、一つの生命細胞がこの世に生を受ける確率は、一億円の宝くじが百

万回続けて当たるほどマレなことであるそうです。このように尊い命を与えて

くれた天(ダーマ)を敬い、同じく尊い命を宿した隣人を自分の家族の様に愛し、

田の国々ともいたわり合えば、争い事は起こりません。この混沌(コントン:物事が

混じり合って、区別の無い世界。)とした社会情勢の中で、敬天愛人という言葉を銘

記したいものです。

西郷どんは、次のような言葉残しています。(政の根幹は学問をおこし、軍備を

強くし、農業を奨励するという三つのことである。その他の事柄は、この三つの

物を助けるための手段。この三つの中で時代の流れにより、どれを先にするか、

後にするか、その順番の違いはあれど、この文(教育)、武(国防)、農(農業)

は、今の日本にも通じる重要なテーマである。

1番目の教育において、日本はゆとり教育の導入で一般教育が大幅に削減され

たことは憂慮すべき事だと思います。2番目の武については、自分の家を守るこ

とを他人任せにする人がいないようにすると言うことです。3番目の農につい

も、日本は現在食物の多くは海外に依存しているのが実情です。西郷どんはこの

ように、今の日本が抱える問題を浮き彫りにしています。

 
 

連番398                             2018.06.16

             言葉は魂

昔、シリアのある王さまが「人間は生まれた時に自分の言葉を持って生まれてくる」と信じ、

それを実験するために、全国各地から生まれたばかりの赤ちゃんを集め、

教育係に「お前たちは一切、言葉をかけるな。 

ただ黙ってミルクだけを与えよ」と命じました。

 

養育係は王さまの命令に背けませんから、言われた通り、黙ってミルクを与えました。 

そうやって育てられた赤ちゃんはみるみるうちに衰弱し、全員が死んだといいます。

 

これは作家の三浦綾子先生から聞いた話です。

 

人間は単に生理的機能を満たされるだけでは生きられない。

言葉というものが、人間にとって、どれ程大切なものなのかということを、

この話は教えてくれます。

 

その意味で、言葉はまさに力です。

言葉には霊(たましい)が宿っている、といいます。

言葉はいのちを持っているということです。

 

さらにいえば、人間の魂は言葉を糧とすることによってのみ育ち、

体が食物を必要とするように、

人間の魂は言葉を感受することによってのみ、成長していくと言うことです。

 
 

連番397                            2018.06.09

             自 分 の 道

自分には自分に与えられた道がある。天から与えられた尊い道がある。

 

どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。 自分だけしか歩めない、

二度と歩めぬかけがいの無いこの道。 

 

広い時もある。狭いときもある。のぼりのあればくだりもある。淡々としたときもあれば、かき分けかき分け汗するときもある。

 

この道が果たして良いのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。

 

慰めを求めたくなる時もある。しかし、所詮この道しかないのではないか。

 

諦めるというのではない。

 

今立っているこの道、今歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まずあるくことである。

 

自分だけしか歩めない大事な道ではある。

自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではある。

 

他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでも、道は少しも開けない。

道を開くためには、まず歩まなくてはならない。

 

心を定め懸命に歩まなければならない。

 

それがたとえ遠い道のように思えても、休まずに歩む姿からは必ず新たな道が開けてくる。

 

深い喜びも生まれてくる。

 
 

連番396                            2018.06.02

おかげさま の言葉のちから

ラジオで聴いた若いOLの話である。

彼女の生家は代々の農家。 もの心つく前に母親を亡くした。

だが寂しくはなかった。 父親に可愛がられて育てられたからである。

 父は働き者であった。 3ヘクタールの水田と 2ヘクタールの畑を耕して立ち働いた。村のためにも尽くした。 行事や共同作業には骨身を惜しまず、

ことがあると、まとめ役に走り回った。 そんな父を彼女は尊敬していた。 

父娘二人の暮らしは温かさに満ちていた。 彼女が高校3年の12月だった。 

その朝、彼女はいつものように登校し、 それを見送った父はトラクターを運転して 野良に出て行った。 

そこで悲劇は起こった。 居眠り運転のトレーラーと衝突したのである。

 彼女は父が収容された病院に駆けつけた。 苦しい息の下から父は切れ切れに言った。「これからはお前一人になる。すまんなぁ……」そして、こう続け。

 

「いいか、これからは“おかげさま、おかげさま”と心で唱えて生きていけ。 

そうすると必ずみんなが助けてくれる。

“おかげさま”をお守りにして生きていけ」 それが父の最期の言葉だった。

 

父からもらった“おかげさま”のお守りは、 彼女を裏切らなかった。

親切にしてくれる村人に彼女はいつも「おかげさま」と心のなかで手を合わせた。

 

彼女のそんな姿に村人はどこまでも優しかった。その優しさが彼女を助け、支えた。

父の最期の言葉がA子さんの心に光を灯し、その光が村人の心の光となり、

さらに照り返して彼女の生きる力になったのだ。と言う話です。

 
 

連番395                            2018.05.26

自分を自分で好きになる

 

人間を堕落に導くもっとも大きな悪魔は・・・、自分自身を嫌う心である。

 

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749から1832年)は、ド

イツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家です。近代科学が

専門的に細分化する前の学問を大横断することのできた天才。この歴史上の大

人物をして、こう言わしめるほど、「自分を自分で好きになる」ことは、人間

にとって極めて重要、ということです。

現在、日本人にとって自尊感情や自己肯定感はとても大事な概念になっていま

す。

人は、多かれ少なかれ、他人から認められたい、必要とされたい、尊敬を得た

いという欲求というものを持っています。他人から褒められてまったくうれし

くない人というのはいないですね(恥ずかしがる人はいますが)逆にいうと、

こうした要求こそが、人間関係の境界線を甘くしてしまう要因とも言えます。

他人に褒められたくて、認められたくて、ついつい過剰に相手のニーズに合わ

せてしまう。相手が自分のことをどう思っているのかが気になって、いつしか

自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先してしまうようになる……。他人の評

価に振り回されず、自分で自分を適正に評価できる人は、境界線を崩しませ

ん。自分で自分を満たしてあげられる能力は、それほどに貴重なのです。で

も、それができる人は多くはないでしょう。人間関係の境界線がうまく引ける

ようになるには、他人を認め、自分のことも同じくらい、いやそれ以上に認め

られるようになる必要があると思います。つまり、他人との境界線を引くトレ

ーニングに取り組むことは同時に、自分を尊重する力をはぐくむことにもなる

のです。

よかれと思って相手に合わせていたら、結局その相手と仲良くなれず、勇気を

出して自分を出したほうが友人と仲良くなれたことがあります。

 

 
 

連番394                              2018.5.19

         お父さんと言う名前の由来

以前、お母さんと言う名前の由来について記しました。このブログの連番358です。

今回はお父さんの名前の由来について記してみます。私たちの普段使っている

多くが、大和言葉に由来しているらしいのです。「おかあさん」「おとうさん」と

言う言葉が大和言葉に由来しています。

「おとうさん」とは、そのうち「とう」が大和言葉の「尊し、貴し」という意味

で、それに敬語と敬称の「お」と「さん」がついて「おとうさん」となりました。

また、「とう」とは和語の数え方「ひ、ふ、・・・・この、とお」のうち「とお」と

いう数字的に満ち足りている様子も表していることから、心身ともに統合され

た、尊い人のことを「おとうさん」と読んでいるのです。

次に「おかあさん」の「か」は、大和言葉で「火()、日(カ)」と言う意味で、カ

ッと熱く輝く様子を指しています。日の光はその字が示すように、力(パワー)であ

って、万物の命の元でもあるのです。また、「あ」は大和言葉の「生れ」からと

られたもので、愛のエネルギーで命を生む出す事を指します。

そこに「お」と「さん」がつくとで、太陽のように明るく輝く、子供を産んだ女

性のことを「おかあさん」と呼ぶようになったのです。

 

美智子皇后様一の基調講演(国際児童図書評議会/1998年)

国の神話や伝説は、正確な史実では無いかもしれませんが、不思議とその民族を

象徴します。これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どの

ような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想

像力を持っていたか等が、うっすらとですが感じられます。父がくれた神話伝説

の本は、私に、ここの家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えたと言

う意味で、私に一つの根っこのようなものをあたえてくれました。

 
 

連番393                              2018.5.12

       稲盛和夫 利他のこころこそ繁栄の道

稲盛和夫(京セラ名誉会長)は人生を成功に導くのは、「仕事を好きになったこ

と、会社を好きになったこと、そのことによって今日の自分がある」と話します。

自分は素晴らしい会社で素晴らしい仕事をしているんだと、無理にでも思うよ

うにし、脇目も振らず必死に研究に邁進したことで、仕事を好きになり、会社を

好きになっていきました。それが一般的には不可能と思えるようなことを出来

るようになったベースだと思います。と語ります。

今の若い人達の中に、自分が望んでいる道を選ぶことが出来なかった人がいた

としても、今ある目の前の仕事に脇目も振らず、全身全霊をかけることによって、

必ずや新しい世界が展開していくことを理解して欲しいですね。不平不満を漏

らさず、今自分がやらなければならない仕事に一生懸命打ち込んでいただきた

い。それが人生を輝かしいものにしていく唯一の方法といっても過言ではあり

ません。

稲盛哲学の根本に「思念は現実化する」と言うのがあります。心に描いた物は必

ず具体化していく、心に描いたとおりの人生が出現して行く。卑しい心を持って

ると、卑しい人生になる。反対に美しい心を持ってると、美しい人生になる。だ

から、自分の心を蔑(ナイガシ)ろにしてはいけない。

ジェームス・アレンの『「原因」と結果の法則』という言葉が好きで、それを良

く引用して使うと言います。より良い人生を生きていくためには、心をきれいに

して善きこと思い描くことが非常に大事だと、86才になった現在でもつくづく

そう思っているそうです。

人生で一番大事な物というのは、一つは、どんな環境にあろうとも真面目に一生

懸命生きること。どんな逆境にあろうとも不平不満を言わず、慢心をせず、いま

目の前に与えられた仕事、それが些細な仕事であっても、全身全霊を打ち込んで、

真剣に一生懸命努力を続けること。邪心のない美しい心を持って取り組めば、周

囲はもとより神様も味方し、成功へと導かれるのです。

これが成功者の稲盛和夫京セラ名誉会長の私たちへの送る言葉です・・・。

 
 

連番392                             2018.05.05

          大いなる智慧の完成

『西遊記』に出てくる三蔵法師のモデルであると言われるのが、玄奘三蔵

(ゲンジョウサンゾウ)である。三蔵とは、釈尊の説かれた教えである「経」と、僧

が守るべき規律をまとめた「律」と、経典の解説書である「論」との三つを表

し、この三つを極めた僧を「三蔵法師」と言いますが、唐の時代に活躍された

玄奘があまりに優秀で、よく知られるようになったので、単に三蔵法師と言え

ば、玄奘(ゲンショウ)のことを表すことに成りました。

 

釈尊の教えに「五蘊皆空」があります。般若心経の中の一文です。仏教は釈迦

の教えであります。釈迦は、人に生まれ人として悟りを得ました。五蘊とは

「色受想行識」という、五つの集まりのことであります。

*「五蘊皆空」の説明はこのブログの連番363に詳細説明あります。

 

僧は迷っている人の頭はゴミで一杯になった部屋のようである。仏の心は、ゴ

ミが全て片付いて整然とした部屋だ。現代人の多くがかかっている病は、たく

さんの物を抱え込んで狭くなったら、部屋を広げれば良いと考えるところにあ

る。しかしそれは無理である。部屋を広くするには、物を片付けて、不要な物

を捨て去ることにあると説きます。従って人生に悩み迷っている人は、物を片

付けて、不要な物を捨てることにあるということです。

 

『般若心経』では、まずお互いの心を空っぽにしようと説きます。座禅をする

のは心を空っぽにする修行であります。五蘊を空っぽにする、目で外の物を見

ない、耳で外の音を聞かないようにする、好きだ嫌いだと判断せず、ただ聞こ

えてくるに任せる。そうするためには、静かに呼吸をしていることに意識を集

中する。鼻から息が出ている、鼻から静かに入っている事だけを見つめる。そ

れをただ繰り返すと、だんだん心が空っぽになってくる。

「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、ひろく、ひろく、もっ

とひろく、これが般若心経、空のこころなり」と、奈良の薬師寺の高田好胤和

尚は喝破されました。

 
 

連番391                             2018.4.28

情報に埋もれる

SNSの普及は、コミュニケーションに革命を起こしました。本当にこれでい

いのか考えることがここ最近多いのです。

個人個人のつながりはかつてないほど増えていて、それぞれのSNS文化の中

で人間関係がつくられていきます。LINE、フェイスブック、ツイッターイ

ンスタグラム……。友達が増えるのはいいけれど、コメントにいちいち反応し

なくてはならない・・・。

コミュニケーションの形は現在進行形で変わっていて、新たなアプリや新たな

コミュニケーションツールがどんどん登場するでしょう。こういう時代、「バ

ウンダリー」を意識しないままで過ごしていると、あっという間に情報の波に

飲み込まれ、複雑なコミュニケーションの中に自分が埋没していってしまうこ

とになります。

「バウンダリー」とは、自分と他人の間にある境界線のこと。これは「相手と

大きな壁をつくって遮断せよ」と言っているわけではありません。

けれども、今、人間関係が錯綜している時代に、まず自分を大事にする=自分

の領域を守ることを優先しないと、人のためばかりに疲労、消耗してしまっ

て、あげくの果てには、カラダを壊してしまうことにもなります。

自分をちゃんと尊重する「自尊感情」というものは、自分と向き合うパーソナ

ルスペース(ひとりになれる時間と空間)がなくては育ちません。

でも、自分を尊重できないと自分の持っている時間や空間を他人に明け渡して

しまうことになります。

するとますます自尊感情が育たないという悪循環に陥ってしまいます。

自分のパーソナルスペースを確保するために、相手に「ここは入っちゃいけな

い領域だ」と思わせる、日常的な振る舞いが必要になります。

『人間関係 境界線(バウンダリー)の上手な引き方』が必要です。

返事はお互いに「したい時にする」のが暗黙のルール。自分の時間を大切にし

て相手の時間を尊重したら友人との仲も上手くいくのでは。

 
 

連番390                            2018.4.21

「繁栄への道」

利他の心こそ繁栄の道。と言い切るのは、京都セラミック名誉会長の稲盛和夫

会長。氏は日本を代表する経営者として、京セラやKDDIを創業し、それぞ

15兆円、4,9兆円を超える大企業に育て上げ、倒産したJALの会長に就任

すると、僅か二年八か月で再上場へと導いた。業績はそれだけに留まらない。

中小企業経営者の勉強会「盛和塾」の塾長を務め、一万二千人以上の経営者か

ら師と仰がれている他、日本初の国際賞「京都賞」を創設し、人類社会に多大な

貢献もたらした人物の顕彰を続けている。稲盛氏に通底しているものは「利他の

心」である。「人のため世のために尽くすことが、人間としての最高の行為であ

る」と言うのが稲盛氏の人生観で有り、いままで育くんでくれた社会のために恩

返ししたいという考えから「京都賞」を創設しました。

人知れず努力を払い、人類の科学・文明・精神的進化の面で著しく貢献した人

を顕彰する賞が少なかった。そのような方々をたたえることで、人類社会の発展

に少しでも貢献したい。そのような思いから始められました。日本人の持つ美徳

の一つである利他の心を顕彰事業に体現させたい。最初は5千万円の賞金でし

たが今年から倍の一億円にしたそうです。

『京都賞を受賞される資格者は、謙虚にして人一倍の努力を払い、道を究める努

力をし、己を知り、そのため偉大なものに対し敬虔なる心を持ち合わせる人出な

くてはならない』という一文があるそうです。

授賞者が一様に言うのは、画期的な発明や発見にいたるプロセスに於いて、人知

れぬ努力を重ねているさなか、あるいはふと休息をとっている時や寝ている夢

の中で、まるで神様の掲示のごとく、創造的な閃きを与えられる瞬間があると言

うことです。

この宇宙には知恵の蔵、真理の蔵というものがあって、純粋な情熱を傾けて一

心不乱に取り組むその真摯な努力に対して、神様は知恵の蔵の扉を開き、一筋の

光明が差すように、困難や障害を克服するヒントを授けてくれるのではないか

と思います。

 

 
 

連番389                             2018.04.14

               免疫革命

新潟大学医学部教授、安保徹先生の著書に『免疫革命』。があります。その中に、こんな記述があります。私たちが病気になると、熱が出たり、痛みが出たり、下痢をしたり、咳が出たりと、いろいろな症状が現れます。どれも患者さん自身にとってはつらい症状です。

医師は、なんとか苦しみをとってあげたいという気持ちがあり、その気持ちを形にするべく、現代医療は過去数十年にわたり、症状を「徹底的に薬でとり去る」という方向に進んできました。

しかし、私が仲間の医師たちと研究を続けてきてわかったのは、そういうつらい症状こそ、実は治癒のために必要なものだということでした。

そうした苦しい症状を通してこそ、病気は治癒へ向かうというのが、生き物としての人間の、病気からの脱却の自然なプロセスだったのです。すると、これまでの現代医療は、症状をむ

やみに消すことばかりに専心してきたために、結果として治癒とは正反対の方向に向かっていたことがわかってきました。それが、患者にかえって深刻な苦しみを与えていることも見えてきたのです。

痛む、熱を持つ、あるいは赤く腫れ上がる、発疹が出るということは、血流が増えて身体が燃え上がっている状態です。こういうときは、実に不快です。

たとえば、熱が出ると必ず身体がだるくなります。熱が上がると、横にならざるを得ないほど具合が悪くなります。しかし、その症状こそ、患部に血流を送って治癒を起こそうとしている身体の自然な治癒反応だと理解することが大切です。

クシャミ、鼻水、鼻づまり、耐えられないほどの眼の痒みや腫れ…こういった症状も実に不快です。何をしても集中できなくなり、仕事どころではないでしょう。

しかし、こういった症状もまた、あなたの身体の自然な治癒反応だと仮定してみると…

それを引き起こしている原因に行き着く可能性はないでしょうか?

今あなたを不快にさせている症状の 引き金となっている根本的な原因・仕事の取り組み方、 人付き合いのしかた等を含めた 日常生活の改善でできる予防策などを知ることができます。ただ、環境のせい、体質のせいだと諦めて時が過ぎるのを待つだけなのか。それ

とも、それらの症状を引き起こしている思いがけない原因を見つけ、根本的に改善して、薬やティッシュとさよならするのか。自分を振り返る智慧と力が必要なようです。


 
 

連番388                            2018.4.7

     千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)

千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山

山内で行 われる、天台宗の回峰行の1つ。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と

呼ばれる。千日回峰行を満行した者は、10年目に、9日間飲まず、食べず、寝

ず、横にならずという修行に入ります。これを「四無行」と言います。

この千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を萬行した釜堀 浩元(かまぼり

うげん )の話を伺いました。その内容は以下の通りです。

行に入ると9日間ずっと辛いか最悪かのどちらかです。「四無」の中で一番きつ

いのは水を飲まないことです。喉の渇きは口から水分を入れてやらなければ癒

えません。一日一リットルずつ体から水分が抜けていくので血液がドロドロに

なっているのでしょう。座っているだけで脈が90から100120と上がります。

吐き気がして心臓が飛び出てきそうです。どうやっても治まりません。

水分が人間にとっていかに貴重なものかと改めて気づきました。自分がここに

存在しているだけでも「ありがとう」と、すべてが感謝の世界に包まれているよ

うな9日間でした。

「普段私たちはいかに幸せでしょう。ご飯も食べることができない人が世界に

どれほどいるでしょう。その苦しみ、痛みからみれば、私の苦しみなんて。どん

なに辛くとも苦しくとも取り乱さず、優しさと大らかさ、そしてのびのびと清ら

かなる心で行じれば、必ず護られるのです

「たとえ時代が変わっても、お釈迦さまが示してくれた、お手本どおりに歩む道

こそ御仏に仕える者の定め。だから行に始まりも終わりもない。ただ無の心」

お釈迦様は2,500年前、波斯匿王というインドの王様に「人間の生き方は四種

類しかない。一つは光から光へ生きていく人間、次は光から闇へ生きていく人間、

三つ目は闇から闇へ生きていく人間、四つ目は闇を転じて光ある世界へ生きて

いく人間だ」と言いました。

光と闇は私たちの心がつくるものです。生きていれば、イラっとしたり、ムッと

することもあるでしょう。けれども、昼があって夜があるように、この世はすべ

て陰と陽、よいことも悪いことも半分半分です。

よいことが続くと永遠に続いてほしいと思いますけれども、辛いこと苦しいこ

とも自分の心を磨く砥石なんだと思えば、闇を転じて光ある世界に生きていく

こともできるのです。合掌

 

 
 

連番387                                2018.03.31

三つのエネルギー

活かし、活かされ、生きる。あらゆる生命体は、単独では生きられない。周

囲との良好な関係が欠かせない。そのために必要な精神は、身の回り全てを活

かす心だろう。

 

活かす心は自分が周囲に活かされている事を自覚する心でもある。活かす心

は自分が周囲に、活かされている心でもある。活かすは、活かされる働きと連

動する。生命は生きること、活かすこと、そして活かされることという三つの

エネルギーがなければ、全うすることは出来ない。

 

これら三つが縄のように合わさって、人生を形成するのである。どんなに後

悔しても過去は変えられない。どんなに不安や心配に感じても未来はわからな

い。

 

今、現在に生き、活かし、活かされることで人生を全うできるのであろう。

 

別のとらえ方をすると、人としてこの世に生まれ、万物の霊長たる人間とし

て生きるために、知らねばならぬ事は、人間の命には、生まれながらにして

与えられた、生きる力に対する法則があるように感じる。

 

ただ、この一つのエネルギーを生み出す元が、宇宙を作り出したのである。た

った一つの、宇宙の本体が生み出したのが、森羅万象である。

 

 人間は万物の中で、この宇宙本体の分派分量を最も多く頂いているというこ

とである。人間以外の生物がまねすることが出来ないほど、多くの分量をいた

だいている。このことが、人間が霊長と言われるゆえんであり、人間に与えら

れた生きる力に対する法則であろう。

 
 

連番386                              2018.03.24

全ては心の置きどころ

素晴らしい人生を送るためには、「心に抱く思いによって人生が決まる」

いう真理に気づくことが大切です。中村天風氏は 全ては心の置きどころだ

と簡潔に言ってます。

「あなたが抱く どの考えも力となって出ていき、 どの考えも同じ考えを引

き連れて戻ってくる」 と説いています。

 心に善き思いを持ったとき、 それは善き力となって出ていき、善き結果を

連れて戻ってくる。

 一方邪悪な思いを抱けば、それは邪悪な力となって発現し、 悪しき結果を

引き連れて返ってくる というのです。

 そうだとすれば、私たちが心に抱く「思い」が、どのようなものであるかが

問われてきます。 幸福で満ち足りた人生を望むならば、善き思いをベースと

して 生きなければならないはずです。

では、優しい思いやりに満ちた 思いを抱くには、 どうすればいいのでしょ

うか。もちろん、聖人君子でなければ、 善き思いだけで 心を満たすことは

できません。

人間はもともと生きていくために、 欲望や怒り、愚痴を持つように つくら

れているそうです。

しかし、そのような悪しき思いが 過剰であってはならないのであります。

 悪しき思いをできる限り抑え、少しでも善き思いが 湧き出るようにしてい

かなければなりません。 そのためには、日々、自分の心に言い聞かせるよう

にして、悪しき思いを抑えることに 繰り返し努めていくことが大切です。

 そうすれば、次第に善き思いが 心の中で締める割合が大きくなり、 やが

て行動となって現れてくるはずです。「そんな思いやりに満ちた心など言って

いて、厳しいこの社会をわたっていけるのか」 と、疑問に思われることもあ

るでしょう。 そうではありません。

 

 善き心こそが、 強大なパワーを持っているのです。と中村天風氏は説いて

います。

 
 

連番385                             2018.03.17

誰でも簡単にできる『メスのいらない手術』

最近、体調不良で便秘気味とか、多岐にわたる症状が出ています。
それを冬の寒さの原因だ
として片付けていました。そうしている時、
鶴見クリニックの鶴見理事長(石川県出身)の
話を聞く機会がありまして、
聞いて見ますと。

もしかしたら、あなたの病気や不調の原因は、「食べ過ぎ」にあるのかも
しれません。

その対処として「朝だけ断食」を推奨する という話でした。

 

鶴見 隆史:(鶴見クリニック理事長の話)

昔に比べて健康に関する情報は増え 現代人の健康意識は非常に
高まっているはずなのに、
なぜここまで多くの人が病気や不調に
悩まされているのでしょうか 実は、その原因の大
半は日々の食事にあり、
私が特に問題だと感じているのが「食べ過ぎ」です。

食べ過ぎると、体は消化不良を起こし、消化されなかったタンパク質が
腸内に留まって
腐敗菌(悪玉菌)の餌となって悪玉菌が増殖します。
腐敗菌は必ずアンモニア(アミン類)
を発生します。
そのため腸内は毒性の強いアミン類だらけとなります。
このアミン類は肝臓の解毒作用を
上回って全身の血管内に流入し、
血流を悪化させます。そのため微小循環が大変悪くなりま
す。

その微小循環の最も悪い臓器に病気が出現するのです。
これが慢性病の成り立ちです

最近は、遺伝子の研究が進んだことによって、寿命を延ばすためには食事を
減らすことが
大切であることが明らかになっています。
(中略)
こうした食習慣の改善を進めるために私がお勧めしているのが、
時々の断食なのです。

断食というと、宗教儀式や特別な修行法をイメージされる方も
多いことでしょう。
しかし、断食は全身の細胞の汚れを大掃除して、
元気な細胞に生まれ変わるための唯一の方
法として、紀元前から
行われてきた健康法であり、医学の祖であるヒポクラテスもその重要
性を
説いています。フランスでは断食を「メスの要らない手術」と呼び、
病気の治療として
も高く評価されています。

とはいえ、豊かな食生活に浸り切っている現代人にとって、

本格的な断食はかなりハードルが高いでしょう。そこで、一般の方が
手軽に、安心して取り
組むことができ、しかも高い効果が期待できるのが、
私の推奨する「朝だけ断食」なのです。

 

 
 

連番384                             2018.03.10

           無常という真理

川の流れを見て感じるのは、なんといっても『無常』であろう。常ではないと

いうこと。見ているまにも、その水はすでに移り変わっている。同じ川は一時た

りとも存在しない。

今年も明日311日がめぐってくる。東日本大震災のすさまじい津波を思い起

こす。我が道場からも有志を募ってボランティアにいったのを思い出す。私自身

も震災を機に多くのご縁をいただき、自らの生き方も考えさせられた。

ブッタの悟ったのは、無常という真理と共に無我という真理がある。無常は、川

の流れの様に、一時も同じ状態ではなく移り変わって行くという真理で有り、そ

のように見ることは難しくない。しかし、無我の方は少し難しい。無我とは我無

しと言うことである。すべてのものは、一人あらずとも説かれる。この無常と無

我という二つの真理こそは、仏陀の教えの根本である。

無常を見つめたならば、次には必ず無我という真理に目覚めることが出来る。東

日本大震災の折りに、被災地に方がこのような歌を残されていた。

水求め五時間並ぶ雪の空 見知らぬ同士で傘さしかけつつ 震災という無常

を目のあたりにして、お互いに大変な思いをしているもの同士が、いたわり合っ

ているのである。自分だけではない。自分一人だけではという思いなんです。川

を見つめ無常であることが分れば、一人ではないという無我である道理も見え

てくる。お互いが助け合うことの大切さも分る。支え合い、思い合い、そのつな

がりの中でこそ人は生きることが出来る。

 

『延命十句観音経』の和讃に

「われを忘れて ひとのため まごころこめて つくすこそ つねにかわらぬ たのしみぞ まことのおのれに めざめては きよきいのちを いきるなり」

ということばがある。

 
 

連番383                      2018.03.03

          心無罣礙(しんむけいげ)

般若心経の教えの中に、心無罣礙という一説があります。少し解説をします。

心無罣礙 心は罣礙なしと言ってるわけです、罣礙は、トゲなんですよ、簡単に

言うと、不安や怒り、だから知恵を手に入れたがゆえに、不安と怒りの心は無い、

だから怒りの心が残り、不安が残っている間は、般若波羅密は分かって無い、般

若波羅密多という智慧が手に入ってくると、怒りの心と不安が取れてくる、不安

というのは、今の時点でないこと、未来にある事、未来にあることを迷ってそれ

を、今ないことを大きく膨らますのが罣礙。未来にある不安を追いかけないで、

今をどうするかを考えたい。をどうするかということは般若波羅密ですね。智

慧が手に入ると、いろんなことにとらわれずに 今をどうするかが一番大事。相

手がどうしようと、どういう人であろうと、私は良くできるから大丈夫と思う。

不安が生まれたらどうしよう、今をどうするかを考えよう。そうすると 心無罣

礙故 罣礙が亡くなった故に、不安や怒りが亡くなったから、無有恐怖恐怖が

消える訳です。恐怖が消える為には不安や怒りを取り除き、罣礙が取れないと恐

怖は取り除けない、恐怖というのはあらゆる恐怖でしょ、罣礙が取れないと恐怖

は取れない。恐怖が取れるから、遠離一切顛倒:全てがひっくり返った考え方か

ら、離れることができる 夢想:頭で考えている。ひっくり返った考え方とはい

っぱいあるわけでしょ、例えば、あの人が変われば私が良くなる、ひっくり返っ

てますよね、景気が良くなれば儲かる、景気が良くなってもダメなやつはダメじ

ゃないですか、だからこれは具合のいい言葉ですね、だからひっくり返っている

と言うのは、あの人が変われば私は良くなると言う。人が変わるんではなく、自

分が変わらなければならないのにですね、周りが変わって私を幸せにしてほし

いというのは顛倒テントウ:(ひっくり返っている)ですね。ひっくり返っているか

ら、夢のような考えで夢想。顛倒夢想というのはそこです。ひっくり返った夢の

ような考え方から離れる、ひっくり返った考え方をする人は恐怖の心が有るん

です。あのひとの性でこうなった、全部ひっくり返ってますよね。自分が変われ

ば周りは変わるわけですから、周りが私を変えてくれると言う考え方を持つ人

は心に恐怖がある。なんで、恐怖が有るか、心に怒りがあるから、なんで怒りが

有るか、全て世の中はカラっぽだと思ってない。自分以外は空っぽなんです。自

分が心を埋めれば何とでもなるんですよ自分が空っぽの人ほど恐怖が有り、

相手によって自分を変えてもらいたい。恐怖がある人ほど、心に不安があり、不

満があり、怒りがある、空っぽなんですよね。あるのは自分だけしかない。それ

を言ってますね。だから心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想

 ズバッと竹を割った様に納得できる。論理が明快ですよね。
 
 

連番383                              2018.02.24

 

            明日に対する今

中国人の聖人達の教えでは、自然と人間との同一体を言われる。自然に学び、天

地に代わって心を立てなければ成らないのであるとされている。人間は、せっか

く良い心を与えられながらそれを開くことをしないし、またなかなか出来ない

ので、自然が長い歴史の中で人にそれを教えてきた。真の人間として生きるには

自然の精神、宇宙の精神を理解しなければならない。

陽明学に「天地万物は本我が一体のものたり」(天地万物は元は吾と一体である)

という言葉がある。自分と万物はもともと一体であるから、他者の苦しみ痛みは

己の苦しみ痛みであると心することが必要だとの考えです。

茶道裏千家 千玄室氏曰、茶の湯は、あらゆる人を温和にさせ身分の上下無く、

謹んで一盌を主と客で楽しむ。床の飾りに野の花一輪、そこには自然とも一体と

感じられる雰囲気がある。

武家はすべて帯刀を外し、扇子一本だけの丸腰で茶室に入る。「和」、すなわち平

和を創るのがこの茶室であった。ツキデウス(古代ギリシャの哲人)が『明日を

思うな、今を考えること』と言っているが、これは人間の生は今を大切にし、今

を知ることによって明日があると教える言葉であろう。

 

これと同じ自然を捕まえているのが東洋思想の中にもある。1200年ほど前

の道元の無情説法の巻きと言うところがあります。無情とは情が無いのではな

く、天地自然が語っていると言うこと。天地自然は法を説いている。自分自身が

どう生きれば良いかを説いている。天地自然が一つの出来事で本人のことを本

人に分るように話をしてくれている、と言う話。あらゆる出来事はそこに関わっ

た自分に何かを教えている、ということ。すべての出来事は自分を理解させるた

めにあると言うこと。自分を理解することが最も大事だと言うことを説いたん

です。43才の時道元さん。

 
 

連番382                              2018.02.17

 

         誤嚥性肺炎ごえんせいはいえん

ちょっと休憩して、健康寿命のお話を一つ。私は若いから大丈夫と思わないで

寿命を左右する体操を紹介しますので暇があればやってください。これは以前

テレビで三浦雄一郎さんもやっていたことを思い出しました。

日本人の死因トップ3は、1位:肺がん、2位:心筋疾患、3位:脳血管性疾患

というのが定番でした。平成23年から異変が起こり肺炎による死亡者数が、脳

血管性疾患に替わり三位になり、今もその座をキープしています。

なぜ、肺炎による死亡者が増えたのかというと、「誤嚥性肺炎」によって命を落

とす高齢者が多くなっているからとうことのようです。誤嚥とは食べたものが

食道ではなく気管や肺へ入って炎症を起こすことです。加齢と共に飲み込む力

衰えて誤嚥が起こり、肺炎をこじらせて亡くなるケースが増えてきているよう

です。

人間は、食べ物を食べエネルギーを取りこむ事によって生命活動を営んでいま

す。飲み込む力が衰えると、その当たり前のことが出来なくなってしまいます。

しかし、ご安心ください。飲み込む力は、鍛えることが出来ます。健康長寿を実

現するためには、足腰の筋肉や血管の健康を保つことももちろん大事です。しか

しそれ以上に大事なのは、食べ物を飲み込む力、嚥下機能(エンカキノウ)です。飲み

込む嚥下機能をどれだけキープするかが寿命を左右するといえます。

筋肉はどんなに年をとってからでも鍛えることが可能です。若い時から鍛えて

おくに越したことはないのですが、たとえ70歳、80歳超えても出競るそうで

す。では“のど”をどのように鍛えて健康長寿を健やかに過ごすのか?鍛え方

こうです。

   嚥下おでこ体操  おでこに掌を充てる➡おでこと掌で5秒間押し合う。

➡へそをのぞき込むように頭を前に(5~10回繰り返す)

   顎持ち上げ体操  顎先に両手の親指を充てる➡顎を引いて顔を下方に向

け顎と親指に力を入れ5秒間押し合う。

   のどE体操 

奥歯を食いしばるように力を入れる。➡口をよこにのばす➡5秒間のどの筋

肉を緊張させる(5回~10回繰り返す)

 
 

連番381                            2018.02.10

          「いつもいっしょ」 

人々の心に光を灯す詩を書き続けた国民の詩人、坂村真民。97年の生涯に創作

した詩は一万篇を超えるという。坂村真民に魅せられた二人、西澤孝一(坂村真

民記念館館長)と 横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)のお話から「坂村真民の愛

と求道と祈りの生き方」とは・・・。

坂村真民は、大乗寺の森元老師から「三つの子でも分る詩をつくれ」と言われ、

それが真民の大きな課題となった。


3歳の子でも分かる詩というのは一体何であろうか。「念ずれば花ひらく」や「二度とない人生だから」も単純な言葉ですけど、3歳の子にはまだ難しい。
 で、これは私の自分勝手な読み込みなんですけれども、真民先生が至り得た仏教の神髄をどんな子供にも通じるように表現したのが、「いつもいっしょ」という言葉ではないだろうかと。


「いつもいっしょ!/これがわたしの信仰理念/木とも石とも/蝶とも鳥たち

とも/いっしょ/人間はもちろん森羅万象/いつもいっしょに生き/いつもい

っしょに息をする/だから一人であっても一人でない/沈むことがあっても/

すぐ浮きあがる/ふしぎな奇跡が起きてくる/いつもいっしょ!/ああこの愛

のことばを/唱えてゆこう」

                     

「いつもいっしょ」というひと言なら、すべてのものは繋がり合っている、一人

では存在しないという仏教の教えを3つの子にも分かるように伝えられると思

うんですね。

 

最後にもう一遍(詩人として生きる決意と、自らの生き方を宣言した詩)

 

「貧しくとも / 心は常に高貴であれ / 一輪の花にも / 季節の心を知り / 一片

の雲にも / 無辺の詩を抱き / 一碗の米にも / 苦労の恩を感じよう」

 
 

連番380                             2018.02.03

         失敗は自己責任と考える

松下幸之助氏は、物事が上手くいったときはこれは運が良かったのだと考え、

失敗したときはその原因は自分にあると考えるようにしている。つまり、成功

は運のお陰だが、失敗は自分のせいだと云うことである。

実際、成功と云っても、その過程には小さな失敗がいくつもあるはずです。一歩

誤れば、大きな失敗につながりかねなかったかもしれない。けれどもおごりや油

断があると、そういうものが見えなくなってしまう。

反対に上手くいかなかったときに、それを運が悪かったとか,社会や時代背景が

悪かったと他人に責任を転換すれば、その失敗の経験が生きてこない。

悪くすれば他人を恨み、益々失敗の坂道を落ちかねない。

松下幸之助氏の会社がそうだった。不況・不景気のときにいっそう成長した。業

績の良否の原因を不況という「外」に求めるか、自らの経営のやり方という「内」

に求めるか、その考え方の違いによって、行動が変わり、結果が大きく変わって

くるのである。成功の道は、いわば無限にある。それが松下幸之助氏の考え方で

あった。逆風であろうと不遇であろうと、「必ず道はある」と言う考え方に立っ

て、それを求めていけば、そこに新たな成功への道は開けてくるものだと言って

いる。

「良いことはおかげさま 悪いことは身から出た錆」とは、相田みつをサンの言

葉です。

陰は光の反対語だが、神や仏と行った目に見えない偉大なものに照らされる光

のお陰でその恩恵を受けているのが陰である、と言う意味もあるそうです。上手

くいっているときに、それは運が良かったと言う人はいつも「おかげさま」とい

う気持ちを持っている人。失敗やうまくいかなかった事の原因を、人や環境のせ

いにせず、自分の内に求めて時の言葉が「身から出た錆」

すべての起きた原因を、自らに求めたとき、不況も、失敗も、災難も、そこに意

味があるのだろうと考える。原因を内に求めたときにだけ、自分の行動が変わる。

成功の道は無限にある。どんな逆風であろうとも、原因を常に内に求め、決して

諦めることなく、行動し続けたいものです。

 
 

連番379                              2018.01.27

活機応変(かっきおうへん)。

人生は機の連続である。機には良い機もあれば悪い機もある。その機を受動的に

では無く、積極的に活かしていくこと。活機応変である。私心のない澄み切った

心で,物事に対すれば、その機の本質を見抜き、正しい対策が立てられる。松下

幸之助氏はその典型である。

松下幸之助氏は和歌山の資産家に生まれた。父親が米相場で失敗し破産。尋常小

学校の卒業を待たず、十歳で船場に丁稚奉公に入った。兄弟は八人いたが、26

までに肉親をすべて失い、自らも22歳の時にカタル性肺炎にかかった。その時

の松下幸之助氏の決意に目を見張るものがある。

「どうせ死ぬのであれば、養生して寝ながら死ぬよりも働けるだけ働いて死ぬ

方が良い。結核にかかった以上死ぬのは避けられない。兄二人も結核で死んだの

だから、自分もジタバタしてもダメだ。しかし、ただ寝て死を待とうというのは

面白くない。働ける内は大いに働こう」この決意、この機の活かし方こそ、松下

幸之助氏を大いに大成させる礎になったに違いない。

松下電器は戦時中に軍の仕事に関わったため、GHQから財閥指定を受けて一切

の財産を凍結され、松下幸之助氏も公職追放の身となった。番頭の高橋荒太郎は

GHQに抗議するため百回近くも上京、粘り強く交渉し、公職追放除外を求め、

数年後に指定は解除された。このころの心境を語った幸之助氏の言葉がある。

「私は敗戦で一切の財産を凍結された。さらに仕事のないのに15000人の従業

員を抱え、給料を払わなければならないので、日本一の借金王にも成った」お

そらく同じ頃のことだろうが、こういうことも言っている。

「素直になれない。だが素直にならなければ自分は生きていけない」後年、幸之

助氏は「素直の初段に成りましょう」と言い続けましたがこの体験が由来してる

のだと思います。我々は松下幸之助氏の足跡に学ぶものは多い。

 
 

連番378                              2018.01.20

           国民医療費42兆円

国民医療費42兆円を突破し、空前の医療・福祉大国へと移行中の日本。

川嶋朗Dr.が昨年末、医療学会で掲げた、「患者中心の医療」は、この未来の医

療の問題解決への大きな提言となりました。

これがこのたび、医療経営新聞という業界紙で、詳しく記事が掲載されていま

す。

一部抜粋しますと、

いまの日本の医療現場の実情は「お任せ医療」と「イクスキューズ医療」。

 

《患者は、》

*お任せします  *どうしていいかわかりません* 体のことは難しくてわか

りません *どうしたらいいでしょう? *先生ならどうします? *この薬は

一生飲み続けなければならないのでしょうか?

 

《医療者は》

*手術では取り切れません  *この治療は延命にしかすぎません *再発しな

いとは限りません *可能性は否定できません *治ることはありません *

療は一生継続です

 

これでは、誰の生活なのか?誰の健康の話なのか?治療行為の主体者は誰なん

だということになります。と・・・。Dr.川嶋の提唱する「患者力」、

おのころ心平氏の研究する「患者学」のどちらも、治療選択の責任と自由は患

者にあるとしている。自分の治療は自分で選び、その選択に責任を持つという

ことが、よりよく生きるためのヒントなのかもしれません。これからの医療の

あり方我々も真剣に考えてみるにしたいものです。

 
 

連番377                            2018.01.13

多くの人は見たいと欲するものしか見ない

 カエサル(ローマの英雄)の言葉です。「多くの人は見たいと欲するものしか

見ない」という言葉があります。

 リーダーと一兵卒では見るものが違うかと言ったら、本当は同じです。いや、

気づきたくないわけかもしれません。例えば敵が来るなんて思いたくないから

敵を見ないんです。
 そこが、リーダーとリーダーでない人の間に存在する、厳とした差ではないか

と思います。

こんな経験を皆さまもお持ちだと思いまです。結婚して赤ちゃんにめぐまれ

幸せに日々を過ごしているとテレビや新聞でおむつの宣伝がよく目に入り、

こんなに日頃おむつの宣伝していたのか、全然気がつかなかった!と云う経

験ありませんでしたか。これなんかまさに見たいと欲するものしか見えない。

のパターンだと思いますね。車の購入するときもしかり、なぜか車の宣伝や情

報が目に入ります。美術やアートに興味を持つのもそうですが情報が集まっ

てくるのではなく興味がある、見たいと欲するものが見えてくると云うこと

なんでしょうね。常に俯瞰的な目で見るという事を心がけたいと思います。

最近は情報過多で求めれば、いつでも何処でも入手出来ます。情報が入りすぎ

て、情報におぼれてしまって自分を失ってしまいケースもありますので自分

の見たいと欲するものを知足の心で押えるのも必要かもしれませんね。

 

ガイウス・ユリウス・カエサル紀元前100 -共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家

賽は投げられた」、「来た、見た、勝った」 、「ブルータス、お前もか などの特徴的な引用句でも知ら

れる。

 
 

連番376                             2018.01.06

            木 の 五 衰

 

今年の干支は、戊・戌です。戊は茂るに同じ。丁に続き陰陽繁殖する意。

丁は木の上部・枝葉の繁殖を表す。昨年の丁(ヒノト)に続き陰陽繁殖する。

 

.茂って風通しが悪くなる「懐(ふところ)の蒸れ」に始まり、 
2.根が上がる「裾(すそ)上がり」となり、 
3.生長(生育)が止まって「末(うら)枯れ」と進み、
4.幹や枝の先端部分である梢(こずえ)が枯れ出す「末(うら)止まり」となって、
5.精気を失ったところに「虫食い」が始まる

「木の五衰」の一つは「懐(ふところ)の蒸れ」。枝葉が茂ることです。

枝葉が茂ると風通しが悪くなる。そうすると、そのために木が弱る。

ちょうど我々が密室に閉じこめられたのと同じであります。

弱るから、どうしても根が「裾(すそ)上がり」つまり根が浅くなってくる。

根が上がってくる。

そうすると成長が止まる。伸びなくなる。

頭(梢:こずえ)から枯れてくる。これを「末(うら)枯れ」という。

末(うら)というのは梢(木末)という意味です。

梢が枯れてくると「末(うら)止まり」成長が止まる。

その頃から、いろいろの害虫がつく。「虫食い」。つまり生長が止まって、

だんだん上から枯れてくる。そうするとだんだん幹だけになり、根だけになる。

こういうふうに「懐の蒸れ」から始まって、根が上がって来て「裾上がり」、

そして「末止まり」成長が止まって、「虫食い」虫が食って、そして枯れる

「末(うら)枯れ」。これを「木の五衰」五つの衰えという
 
 

連番375                              201801.01

    

謹 賀 新 年

今年は、戊(つちのえ)戌(いぬ)九紫火星(きゅうしかせい)の年です。

2018年 平成30年)(正式には、201824日から旧暦)

 

天:宇宙に満ちる気(十干:戊(つちのえ))

地:地上にあふれる気、(十二支:戌(いぬ))

人:人間社会と生命全体を総括する気、(九星:九紫火星)

 

十干(戊)  十干とは宇宙の気の年を10分類し、年ごとに順次配置し、物事

の成長と発展、停滞と衰退を明らかにしたもの。干とは幹であり、宇宙の根幹を

示し、すべての生物の生命力とその変化と対応を明らかにする。

 

十二支(戌) 十二支とは地上の気を12ヶ月動きに対応し、その時々の状況と

物事の変化を説明して、その可能性と本質を明らかにする生命力である

 

九星(九紫火星)九星は、宇宙に存在するすべての存在と本質、性格、特徴など

を網羅的に捉えたもので、九つに分類される生命力である。年ごとに移り、一白

水星、二黒土星、三碧木星・・・というふうに呼ばれる。

 

2018年を構成する、天・地・人 の三気は、戊・戌・九紫火星。戊は「つちの

え」。茂に同じ。丁に続き陰陽繁殖する意。(丁は木の上部・枝葉の繁殖を表す、

木の五衰といって、枝葉が茂りすぎると日光が遮られ、風通しが悪くなって、虫

がつく、木が弱り、成長が止まる。)戌は戊と一からなり、干支の干は干幹、支

は枝で、生命・創造・造化の過程を表すもの。戊・戌、共に草木茂る意がる。し

たがって戊・戌の年の植木屋は、思い切ってこれを刈り取り、剪定をして、風通

し日当たりを良くし、根固めが必要。九紫火星は象意として、神仏・知識・光・

太陽・明るさ・火災・2度目の勝負・離合集散がありますが。今年剪定(日々掃

除片付け)を思い切って行い、常に笑顔を忘れず明るく楽しく元気よく生活し

ていると居合わせが寄ってきてくれる年のようです。

 
 

連番374                               2017.12.30

 今、ここの考え方

困ったり、悩んだりしたら、この十字を思い出して、感謝の心を大切にしなが

ら、毎日生活して行くと良いと思います。近視眼的に物事を見ていては、感謝

の心は生まれにくい。それは、物事を広く深く見る目を(俯瞰的に見る目)を

養うことによってこそ育つものだと思います。

   今、私たちはここ(★印の部分)にいます。

         未来

          ↑ 

          | 

          | 

    世界←―― ★ ――→世界  

          | 

          | 

          ↓ 

          過去

 縦軸が歴史(時間)、横軸が世界(空間)。今、ここにいて、「縦軸の上方向」

=「未来」に向かって、進んでいるのですけど、いつもこの十字の交差点にい

います。 縦軸と横軸を知ると、今、この時代に 日本で生活しているという

ことの 大きな大きな不思議と幸運に気づくはずです。『有り難い』ほど恵ま

れた場所にいるのが私たちです。 縦軸を下れば、戦争。 横軸にはいっぱい

の貧困地帯がある。 その中で、ここにいるということの有り難さ。 決して

「当たり前」ではないことばかりです。 毎日三度のご飯が食べられることだ

って 清潔な服が着られることだって、 薬があることだって、爆弾が落ちて

こないことだって 縦・横を見れば決して「当たり前」のことじゃないので

す。

 これだけ「有り難い」中にいて、 ちょっとあれが足らない、ちょっと思う

ようにならない、 快適でないからといって 不平不満ばかり言うってことが

いかに、浅学か気づきます。 つまらないことで文句を言いそうになったら、

 この十字を思い出して、 感謝の心を大切にしながら、毎日生活していこ

う。 近視眼的に物事を見ていては、 感謝の心は生まれにくい。

 それは、物事を広く深く見る目を 養うことによってこそ育つものだと思い

ます。来年は 『今、ここ』を大切に生きていこう!

 
 

連番373                            2017.12.23

            心に残る言葉

今年も残るところあと僅かとなりました。今年を振り返り今年の私の心に残る

言葉を記します。本日は能美市少林寺拳法協会の納会の日であります。

 

●人間は食べて飲んでというだけでは生きていけません。
魂が求める栄養があるんです。そしてその魂の栄養こそ、
広い意味での言葉であって、それは書物との出逢いであり、
他人と言葉を介して繋がることだと思うんですね。
                 福島智(全盲ろうの東大教授)

●父が私にしょっちゅう言うてたのが、「人のために汗をかけ」と
「人間の真の優しさとは 見返りを求めない心。
 見返りを求めるのは優しさじゃない」っていう二つの言葉でした。
                 中本忠子(広島のマザー・テレサ)

●誰の言葉だったか忘れましたけれども、剣の修行を十年やると自分の強さが

 分かる。さらに十年やると相手の強さが分かる。さらに十年やると自分の弱さ

が分かると。
私は自分の弱さを分かる人こそが、人生に降りかかってくるあらゆる「時」に

本当に負けない人だと思います。
横田南嶺(円覚寺派管長)

 

●あなたが今抱えている不要・不適・不快の事柄は、あなたを縛っているロープ。

そのロープは多ければ多いほど、あなたを太いロープで縛っている。あるいは、

抱えている期間が長ければ長いほどロープは長い、太くて長いをロープを解

いて行くのが、断捨離です。断捨離はただモノを手放すだけでなく、心や思考

の整理も同時に出来ること惹かれます。かたづけられないのはあなたが悪い

のではない、モノが多いだけ。ただモノを手放すだけでなく、心の思考の整理

も同時に出来るここがポイント。

やましたひでこ。(クラターコンサルタント)

 
 

連番372                              2017.12.16

静の心 茶のこころ

少林寺拳法は、動と静のバランスを偏ることなく行じる事を重んじています。

動とは易筋行であり、静とは座禅行であります。

茶道はまさに静の代表的な道だと思います。茶道裏千家前家元の千玄室さん

が茶の湯の心について、味わいのあるこんな事を言っていましたのでお話の一部をご紹介いたします。


玄室(茶道裏千家前家元)
中世末(1577)に来日したキリスト教宣教師ジョアン・ロドリゲスは、堺で茶の

湯に接し驚いたと、いまもバチカンの図書室にある『日本教会史』に述べている。
 

小さな茶の家、それは市中の山居であり、まるで隠者の家の風を表している。
茶の湯は、あらゆる人を温和にさせ身分の上下なく、謹んで椀を主と客で楽しむ。
床の飾りに野の花の一輪、そこには自然とも一体と感じられる雰囲気があった。
祈りに近い環境であると。
 
多くのバテレンが千利休に茶の湯を習い、キリストの教えを広げた。
禅宗を背景とする茶の湯がキリスト教と一体になり、
いわば東西文化の交流の基をつくったのである。

利休の茶はあらゆる宗教のカタルシス(受肉)の如きで、
茶室の小さな入り口は狭き門であり、
その門をくぐるためには階級も何もない裸の人間にならなくてはならない。

武家はすべて帯刀を外し、扇子一本だけの丸腰で茶室に入る。
「和」、即ち平和をつくるのがこの茶室であった。

 
 

連番371                              2017.12.09

             因果の法則

 人生は、心一つの置きどころ。人間の心で行う思い方、考え方が人生の一切

を良くも、悪くもすると言われます。心は創造の達人です。そして私たちは心で

思い、人生を形作り、その中で様々な喜びを、また悲しみを自ら生み出していま

す。

私たちは心の中で考えたとおりの人間(人生)になります。私たちを取り巻く環境は、真の私たち自身映し出す鏡に他有りません。

これは「原因」と「結果」の法則という本、著者:ジェームス・アレン、出版社:

サンマークの一説です。結果には原因があると云うことです。

 我々少林寺拳法を行じているものは、釈尊の教えの中の因果応報とか因縁と

して学んでいます。でもこれは非常に奥が深くいまだに悟りの境地に達してな

いのは私だけでは無いと思います。

これは宇宙の真理で有り、悟りで有り、これを理解することは誰でもたやすく

出来るが、実践が出来て初めて、真に理解していること(悟っている)となります。

そういう意味では、因果の法則は一生の座右の銘とすべきことだと思います。

ジェームス・アレンのこの書籍のなかで、心の中で考えたとおりの人間になる

と言っています。今 現在の自分は自分が考えた通りの人間であると云うことで

す。イヤ違うと言う人も多くいると思いますが、結局自分が妥協したり、修正し

たりして、知らず知らずに今の自分を思い描いているのかもしれません。

この世に起こった現象(結果)には、偶然はありません。必ずそこに至る原因

があり、必要からその結果が生じているものです。すべての出来事は 必要・

必然・ベストでちょうど良いのでしょう。心の思考というのはとても大切なことだと云うことですね。

 

空海の座右の銘

  『己の長を説くなかれ 人の短を云うなかれ』

 
 

連番370                          2017.12.02

気について

少林寺拳法教範 第5編 第2章に気についての説明が有ります。教範の内

容とは少し違った切り口から考えてみます。本来“気”と言うものは、人間の身

体の中を流れているかどうかにかかわらず、もっと大きな存在を言います。

昔の人は、気の本質をよく理解していて、たくさんの言葉に気という文字を使

っています。

 

人間側(内気):元気、病気、気分、気持ち、気後れ、気落ち、気さく、気楽、気

晴らし、など実に多くあります。

【気とは自分以外のものと接触したり、取り入れたり、あるいは取りいれられた

りすることが出来るようです。

この自分以外の物とは必ずしも人間と限りません。動物や植物、あるいはもっと

大きな自然が持っている気も入りますし、その場の雰囲気と言ったものもあり

ます。

 

さらに外側(外気)に目を向けて、天気という言葉の意味を考えてみます。天

気というと天候を意味していると思われがちですが、本当に意味は、天が持っ

ている気のことで、外気や宇宙の気を表しています。

 

反対に、地の気は地気といい、人の気は人気と呼ばれています。考えてみると

「気」を含んでいる言葉は、本当は奥が深いものだということがわかります。

 

この様に気というものは、一人の個人にも存在していると同時に、ものごと全て

に存在しています。人間だけでなく、すべての動植物、鉱物などのを含む自然全

体、さらには地球や宇宙全てに気が存在していると考えるべきです。

つまり、外気は宇宙という全体の気があるのと同時に、それぞれの部分にも同じ

ように気が流れ、それぞれは統一されて整然と流れているわけです。

このような気について、良い気分で、少し考えてみるのも時には良いんじゃないですかね。いい気になって考えすぎないように!

 
 

連番369                          2017.11.25

 

             坂村真民の詩一遍

「念ずれば花ひらく」の詩碑で知られる詩人・坂村真民氏。
その坂村氏の詩を35年以上にもわたり愛読されてきた円覚寺の横田南嶺管長が、ご自身で百の詩を選ばれたのが『坂村真民詩集百選』です。1万遍以上にも及ぶ膨大な真民詩の中から、横田管長が選ばれたのは、どのような作品だったのでしょうか?その中から一篇をご紹介します。


        「ハイを覚えそめた真美子に」

ハイということばを覚えそめた真美子よ
そのことばは人間の一番美しいことばだ。

人間の一番純なことばだ、

すやすや昼寝しているときでも、
だれかが外で呼んだりするとハーイといって、

ぱっと目をさます真美子よ、

ハーイというお前の返事は
何にもかえがたいほど美しい、

今朝ふと目をさましたらお前はまだうとうとしながら、

ハイということばを何度もいっているではないか、

わたしはそのいじらしい心にうたれてとび起きた。

そしてお前の成長を祈った。

オトウチャンオカアチャンもまだよく言えないお前だが、

ハイという返事をききたさに何でも頼めば

ハーイ ハーイと言って取ってきてくれる愛らしさ真美子よ、

そのまま素直に大きくなってくれ
明るい人になってくれ、

ハイということばは日本の一番美しいことばだ、
女性の一番美しいへんじだ

 
 

連番368                           2017.11.18

『森信三 運命を創る100の金言』に学ぶ

『森信三 運命を創る100の金言』を再読し、その言葉の深さに改めて大きな感動を覚えましたので、ここにいくつかの金言を紹介したいと思います。

 

・人はそれぞれの年代に応じて、 真剣な生き方をして参りますと、 70歳代、80歳代は、まことに 自由闊達(かったつ)な境涯に恵まれて、 真の生き甲斐ある人生が送れるのではないかと思われます。 人生の見通しを立てるとともに、 いま一つ、脚下の実践に どれほど真剣に取り組めるかどうかということこそ、 その人の人生に対する徹見透察の 如何によるといってよいかと思われます。これは森先生が80代の頃の言葉でしょう。同じ人生を生きるなら、こういう境地を目指したいものです。以下、注釈を加えず、言葉を噛み締めていきたいと思います。

 

・人間が本当に真剣になると、 パッと夜中に目があいた時とか、 あるいは朝、目のさめた瞬間に、大事な問題がパッと分かるものなんです。


・「やけ」など起こすのは、毎日の白紙の一ページを、自分自身で汚すのと同様             で結局自ら自己の運命を投げ捨てるものといえましょう。


・わたくしは、皆さん方に一つの「黄金のカギ」を さしあげたいと思います。    それは何かというと、われわれ人間にとって真に生きがいのある人生の生き方は、「自己に与えられたマイナス面を、プラスに逆転し、 反転させて生きる」という努力であります。


・いかなる事情がありましょうとも 父親軽視の種まきだけは絶対にいけません。と申しますのもわが子が「父親軽視」になり、 やがて「父親」に対する不信感に陥りますと、 わが子を根本的に駄目にしてしまうからです。ここを誤れば生涯を間違うことになる。言葉というものはその人の体験が根っこになって生まれてくるもの、と森先生は言っています。 
 
 

 連番367                       2017.11.11

四季彩花

金沢市の金沢21世紀美術館で開催中の片岡鶴太郎さんの作品展「片岡鶴太郎四季彩花(しきさいか)」を楽しんできました。想像力あふれる作品はいつしか鶴太郎ワールドに引き込んで楽しませてくれます。ガラスの花器などに映像を重ね合わせ、幻想的な空間を演出した作品が、来場者を鶴太郎さんの世界に引き込んでくれます。カラフルなガラスの花器や盃(さかずき)などが並べられたコーナーでは、花火や金魚の映像が効果音付きで投影されます。床に敷き詰められた白色の玉砂利に、色とりどりの花火が大輪を描き、金魚が泳ぎ回る様子が映ると、なんとも言えぬ世界に引き込まれます。

       

たまにはこうした世界に身を置き、楽しむのも創造性が豊かになり必要だと感じました。

 

連番366                         2017.1104

            勝海舟の言葉

およそ仕事をあせるものに、大事業が出来たという例がない。こせこせと働き

さえすれば、儲かるなどと云うは、日雇い人足や、素町人や、土百姓のことだ。

天下の大事が、そんなけちな料簡で出来るものか。だれでも責任をおわせられ

なければ、仕事の出来るものではない。

 

【解説】

海舟は極貧の中に有りながらも、書物が読みたくて、年中、本屋の書店で立ち

読みをしていました。それに感心した店主を介して、北海道の豪商・渋田利右

衛門と交際することになります。利右衛門は商人ながら大の読書好きで、同じ

く本好きの海舟の中に光るものを見たのです。利右衛門が海舟の家を訪ねる

と破れた畳が三枚有るばかり、天井はどれも蒔きに使ってしまって、一枚もな

いという有様です。

 

しかし、利右衛門は全く気にしない様子で海舟と歓談、海舟がおごる蕎麦を遠慮

無くたいらげまして、そして、金二百両を置いて、これで本を買って、あなたが

読み終わったら私に送って欲しい、と申し出たのです。

海舟がこの恩に報いようと、どれほど勉学と修身に没頭した事かしれません。其

れがこれ以上無い下積みとなったのです。海舟は地道に働くことを否定してい

るのではありません。また、大事業でなければ成らないと云うことでもありませ

ん。

 

どんな仕事も学問も基本を徹底して身に染み込ませるには、どうしても下積み

が必要です。どれほど些細なことでも、下積みが必要です。どれほど些細なこと

でも、また、これが一体何になるのかと思われる様なことであっても、とにかく

真面目に取り組んで行く必要が有るんです。その経験が確固たる土台となって、

やがて大きな仕事を手がける際の力となると言うことを教えてくれてます。

 
 
 

連番365                           2017.10.28

              進化向上する人

最近の若い人達は、とても素晴らしい。何が素晴らしいかというと。スポーツはもちろん

芸術・文化面でも活躍が著しいですね。其れも十代が活躍しています。

水泳: 池江 璃花子 17    テニス:大坂なおみ20

スキージャンプ:高梨沙羅20   卓球 平野美宇、伊藤ミマ17

柔道:阿部うた ウルフ(東海大)20歳  陸上:桐生祥秀21,サニブラウン18

体操 :白井健三21、村上茉愛21、杉原愛子18  ゴルフ:畑岡なさ18

フィギアスケート:羽生結弦22、宇野昌磨20、本田真凛16、三原舞依18

将棋 藤井聡太(中学生)15

歌(カラオケ): 鈴木瑛美子(女子高生)16  少林寺拳法:日光・土本組14

シンクロナイトスイミング:井村雅代の言葉(できる人・伸びる人)

一、自分は絶対にできると信じる人。 

一、諦めない人。 一、やり続ける人。
稽古をしているときに、先生(指導者)が他の人に向かって注意したことを自分のこととして聞く人は伸びていく。自分は注意されてないからと云ってそこでぼんやりと聞いている人は伸びていかない。他人への注意や叱責を自分の問題として受け止めるかどうか。自分は果たしてしっかり・ちゃんと出来ているかどうか、振り返ると出来てないことが多かったりします。どれだけ先生が(指導者)教えてくれても、どれだけ自分の中で知識としてあっても、そこで自分の技を・考え方を変えられるのは自分しかいないんです。自分でやらないと変わらないんです。(ステップアップ、進化向上しない)

人間的に立派な人、技に上手な人は、性格が似ています。初段をとるとそこに安心してしまう人はそこまでで終わってしまうんです。進化向上する人は、私から見ると恵まれているというような人でも、それぞれ何かしらコンプレックスを持っているんですよ。コンプレックスを持っている人は欠点を補うために努力と研究を重ねることができます。逆に自分は出来ていると思うと成長は止まってします。私自身、まだまだ出来ていないという気持ちで、これからも進化向上し続けて行きたいと思います。

白井健三さんが、楽しむと言う言葉をよく言います。自分の限界に挑戦し超えた人の言葉です。世界一練習をしたので決勝は楽しみたいと云ってます、その結果、二つの金メダルと銅メダルと成りました。楽しむというのは精神を落ち着かす薬ですね。

 
 

連番364                           2017.10.21

顛倒夢想(てんとうむそう)

仏教の般若心経の中に、顛倒夢想と云うのがあります。顛倒夢想とは、ひっくり返った夢のような考え方をする事です。ひっくり返った考え方とは、たくさんあります。たとえば、あの人が変われば私は良くなる。ひっくり返ってますよね。景気が良くなれば儲かる。景気が良くなってもダメな人はダメじゃないですか。上司が悪いから私は楽しくない、関係ないと思いますすね。だからこれは都合の良い言葉ですね。主人のせいで私はこうなったとか、妻のせいで面白くないとか。其れは間違っているわけです。だからひっくり返っているというのは、あの人が変われば私は良くなると言う。人が変わるんではなくて、自分が変わらなければならないのにですね、周りが変わって私を幸せにしてほしいというのは顛倒(ひっくり返っている)ですね。ひっくり返っているから、夢のような考えで夢想。顛倒夢想とはそのことを言ってます。ひっくり返ったような考え方から離れる。これを遠く離れる(遠離:おんり)と云います。従って遠離一切顛倒夢想とは夢のようなひっくり返った考え方から離れると言うことになり、これは自分自身に恐怖の心があるからだと教えています。なぜ恐怖心があるかというと心に怒りがあるから、なんで心に怒りがあるかち云うと、すべて世の中は空っぽだと思ってない。自分以外は空っぽなんです。自分が心を埋めれば何とでもなるんです。自分が空っぽな人ほど(自己確立ができてない人)恐怖があり、相手によって自分を変えてほしいと思っている。恐怖が有る人ほど心に不安があり、不満があり、怒りがある。空っぽなんです。あるのは自分だけしかない。それを言ってます。だから、心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 (シンムケイゲ ムケイゲコ ムウクウフ オンリイッサイ テントウムソウ)ズバッと竹を割ったようにいいてます。理論が明快です。その後、究竟涅槃(クキョウ ネハン)。究竟というのは、ぎりぎりのところまとめて言うと、極めて言うと、これを涅槃といいます。

 
 般若心経の解説②

連番363                      2017.10.14

五蘊皆空(ごうんかいくう)

少林寺拳法経典の中の般若心経に五蘊皆空という言葉があります。観音様が説いた教えです。観音菩薩は、深い大きな智慧を得ようと修行を深めたその時に、心その物が空で有ると言うことが良く見えてきたと言ってます。空とは、嬉しいことがあっても次に自分の悪い評判を聞けばもう嬉しいことは消えてしまう。ショックが有っても、誰かに好きだと言われたらうれしくなる。つまり心はいつも動いていく、今そこで苦しみに悩んでいても、他の話を聞いたらすぐ嬉しくなる、一定しないで動いている。つまり心と言うものは常に一定しないで動いていると言うことが解ってきた。だから、今の相手の話を聞いてショックになるな。今、仮に相手が悩んでいても、相手の心はすぐまた変わる、あなたの心もすぐまた変わるではないか。つまり心は一定していないじゃないか。だからいちいちの事で悩むことも、迷うこともない。心と言うのはそういうものだ。とまず最初に言ってってるわけです。そこが解ると度一切苦厄(どいっさいくやく)に成ると言う。度と言うのは温度の度、「氵」つけると渡。つまり、度というのは解決するという波羅密多(はらみた)全体を述べている。つまり、物事を解決すると言っている。一切苦厄と言ってますから、一切の苦悩と悩みは全部解決して消えて行ったというわけです、ここは、観音様が知恵を身につけようと行を深めたその時に、明らかに分かったのが、人間の心は一定でない「空」であること、そこが良くわかった途端に、すべての苦しみは消えて行った。人間の心が変わるだけで物事の受け取り方一つで変わると言うことが分かってくると消えて行った。という様な事をここで言っているわけです。ここの一行、二行がとても大事なところで、般若心経全体の枠組みを作っている大事なところです。

今の出来事にこだわらないのが心なので、もともとこだわらない自分の心を知り、こだわらない相手の心を知っていれば、とらわれる必要はない。心は一定してないんだから、そんなに悩むことはない。もう少し一喜一憂しないで長い目で見ないかという様な事を言っているんです。

だから、観自在菩薩は自由にものを見て、自由にものを聞いて、心が自由になっている 心は一定してないんだから、そんなに悩むことはない。と云っています。

 

般若心経の解説

276文字に凝縮された、幸せをつかむ智慧 

連番362                       2017.10.07

        摩訶般若波羅密多心経

金剛禅総本山少林寺の経典に摩訶般若波羅密多心経まかはんにゃはらみたしんぎょう)と言うのが掲載されています。ほとんど学習もなく、学習しようとしても難しく取っつきにくい存在になっています。この場をお借りして般若心経をいくつかポイントを絞って私なりの解説をしてみたいと思っています。

訶般若波羅密多教というお経全体の縮尺版といわれている。大乗仏教にな

って生まれた経典が、摩訶般若波羅密多心経(まかはんにゃはらみたしんぎょう)で、短いお経でとても読みやすく、記憶しやすいです。 

 一言で言えばどういうことかというと、(幸せになるために、大きな・智慧を獲得する為の心の教え)と言うことです。

摩訶はマッハ―(大きな)般若はパンニャー(智慧)、波羅密多はパーラミータ(こちら側から向こうへ渡るという意味)。いわゆる此岸から彼岸へ渡るという意味。大きな智慧の世界へ渡る事。つまり、智慧を獲得すること。

観自在菩薩とは観音様の事を言っている。観自在菩薩(カンジザイボサツ) というのは、自由自在に物を見れる人、観世音菩薩は、自由自在に物を見られて、自由自在に物を聞ける人、という意味。

般若心経は全体が五つの構成でできている①は智慧をとらえるところです。最初の構成が 観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切空厄 (カンジザイボサツ ギョウジンハンニャハラミタ ショウケンゴウウンカイクウド イッサイクウヤク) までがひとつのカテゴリー、観世音菩薩が行を深く行じたと言っている。なにを深く行じたかというと、知恵を悟るために行を深めた時「その時に」と言っている。

その時に明らかに見たと云う。何を?行を深めたその時に照見、何かはっきり見えてきたんです。五蘊皆空が見えてきた。五蘊とは何かというと(五つの要素:見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るという五感。)五感を動かしている蘊は心、五蘊とは言うのは、五感を動かすこころのことで、照見五蘊、五蘊がはっきり見えてきたと言うんです。心がはっきり見えてきた。皆空、つまり心は皆空、いつも空であるということが見えてきた。つまり観音菩薩は、深い大きな智慧を得ようと修行を深めたその時に、心その物が空で有ると言うことが良く見えてきた。

と言っています。(続く)

 
 

連番361                              2017.9.30

服装の大切さ

 日本人にはおしゃれを頑張るのは、どこか恥ずかしいと言う思い混みがありませんか。親や学校から「人は見た目で判断してはいけないと言う教育」を受けてきました。昔は少林寺拳法の武道専門学校でも指導者はきちっとした身なりをするよう指導がありました。

あなたも感じているように、人は見ための影響力を大きく受けます。人の第一印象は0.5秒で決まると云います。その理由の一つは、野生動物としての勘です。野生動物は、遠くから近づいてくる動物が危害を加えるかどうかを一瞬で見極めなければ生き残れません。人間にもこの本能が残っており、見た目で一瞬のうちに判断するのです。しかもこの第一印象は、「初頭効果」と言って、その後の印象を変えにくいと言われています。第一印象がその後の人間関係まで左右してしまうのです。また、服装によって、振る舞いが変わるという実験結果も出ています。

アメリカの心理学者フィリップ・ジンバルドは、新聞で公募した24名を無作為に「囚人役」と「看守役」に半分に分け、どのような心理的変化が起こるのかという実験を行いました。囚人役は警官に逮捕された後、取り調べを受けて囚人服を着せられ、監獄に入れられる。看守役は制服を着て、警棒を下げ、囚人を監視する。どちらも、それらしく振舞うように指示されるわけではない。しかし、驚いたことに、服を着せるだけで本物らしい振る舞いになっていったというのです。囚人は卑屈な態度、看守は命令口調になったのです。つまり人は服装によって、人の行動、ひいては性格まで変わる可能性があるということがわかったのです。これほど見た目の影響力が大きいのに、私たち日本人はファッションに苦手意識があります。いつも同じような服、どうでもいいみすぼらしい服では、この服装の影響力がマイナスに働き、やる気のない毎日、自信が持てない自分になってしまうのは当然です。今後気合いを入れて取り組みたい一つです。

 
 

連番360                              2017.9.23

三法印(サンポウイン)

仏教の基本教義で三法印というのがあります。

   ・諸行無常(すべては変化する)

   ・諸法無我(孤立して存在するものはなにひとつない)

   ・涅槃寂静(この二つの真理に徹すれば、自ら執着やこだわる心が無くなり、安らかな境地が開ける。

 

諸行無常とは、あらゆる物は変化すると言うモノですが、その人を活かすべく環境(外気)は必ず良い変化しか与えないと云うこと。どうしてもそのように見えないことも多々あります。しかし、時間が経ってみれば「あのときのお陰で、今がある」過去は宝と云うことです。

諸法無我とは、この世はすべて関係し、孤立している物はないと言う事ですが、其れはその人に生きる勇気を与え、活かすような関係しか与えないと云うことです。会って嫌な人も嫌いな人もいるわけですが、外気は本来良い関係しか与えないと云うことです。

涅槃寂静は、諸行無常と諸法無我の二つが成し遂げられ、調和したときに幸福を得られると云うことです。諸行無常とは時間的経過の中のことで、すべての変化のことを云い、諸法無我とは空間的な横のつながりのことを云います。

 

こうした縦軸と横軸の交差は、すべて云い事しか無いと云うことです。これを気でとらえると、自分を大きく包む外気と、その中にいる自分(内気)が調和しなければ、本当の救いは存在しないと云っています。

涅槃というのは、すべてが完成に向かうと云うことを示し、静寂は調和の方向へ向かっていることを示しますから、外気と内気の調和が完成へ向かわせることを説いているのです。お釈迦様はこの三つが教えのすべてであるとして法である事の印で有ると云う意味で三法印と名付けました。

 
 

連番359                          2017.9.16

自反尽己(じはんじんこ)

     自反とは指を相手に向けるのではなく、自分に向ける。
   すべてを自分の責任と捉え、自分の全力を尽くすことである。
そういう精神風土を保ち続けたところに、この人の繁栄、この国繁栄の因がある。

相田みつをさんの言葉に、「あんなにしてやったのに 『のに』がつくとぐちが出る」という常々意識しなければならない戒めのことばがある。一所懸命やったのに、あれほど言ったのに、こんなに心配してるのに・・・『のに』がつくと人や環境のせいにしているのがよくわかる。責任を相手に向けているからだ。

 

相手が石だったら・・・?石につまずいて転んだ。なんでこんなところに石なんかあるんだ、とこん畜生で石を蹴る。責任を石に向ける、そういうのはつまらない人間だと、安岡正篤は云う。つまずいた時「ああうっかりしていた。おれもまだまだだいけないぞ」と反省する。我慢するのでもなく、忍耐でもない、ただ、自ら反(かえ)る、のである。自然にである。

 

自反とは、なんでも問題の原因を外に帰するのではなく、外に向けた指を自分に向けるということだ。「己を尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」と西郷隆盛は云う。何かしら自分の心に反するものがあれば、他に求めることなく自分に反(かえ)る。自分の至らなさに帰すことができる人は、人として第一等の資質を持っていると思う。そういう人は深沈厚重だ、どっしりと深く沈潜し、厚み、重みがある。

 

外ばかり見ているから、現代の病に侵される、ストレスが生じる。「自ら自らに反(かえ)る」、すべては自分の責任と捉え、己の全力を尽くすことでしか自立は得られないのだろう。

 

いかなる時も人間としての正しい考え方は、自分の内部に第一原因を発見することでなければならない。(安岡正篤) 心したい言葉である。

 
 

連番358                              2017.9.9

          お母さんと言う名前の由来

自分の人生を 充実させていくのは、 親でもないし、 先生でもないし、 環境でもない。自分自身が感謝する心を 持てるかどうかだ。と、境野勝悟(東洋思想家)は言います。由来を知れば、感謝の心は生まれる!
【「お母さん」の由来】
 これは、もしかすると女性には 理解できないかもしれないけども、 男性にはわかってもらえると 思います。 お母さんが家にいると黙っていても 明るいのです。 あたたかいのです。 それで、わたくしたち男は 自分の妻に対して、「日身(カミ)」に「さん」をつけて「日身(カミ)さん」と言ったんです。 丁寧なところでは、 これに「お」をつけて「お日身(カミ)さん」 といったんです。 この「日身(カミ)」という意味は?「カ」は古い言葉では「カカ」といいました。 もっと古い言葉では「カアカア」といった。 さらに古い言葉では「カッカッ」といったんだそうです。「カカ」「カアカア」「カッカッ」。 これが「カ」となるんです。「ミ」というのは、 わたくしたちの身体という意味です。 ですから、「日身(カミ)」とは、 わたくしたちの身体は「カカ」の身体である、「カアカア」の身体である、「カッカッ」の身体であるという 意味なんです。
 では、「カカ」「カアカア」「カッカッ」という音は、古代では 一体何を意味したのでしょうか。「カッカッ」というのは、 太陽が燃えている様子を表す 擬態語でした。「カッカッ」とは、 実は太陽のことを指したのです。「カアカア」「カカ」という音も 同様です。 つまり、わたくしたちの体、 わたくしたちの命は 太陽の命の身体であるということを「日・身(カミ)」(太陽の身体) と言ったんです。

お母さんはいつも明るくて、 あたたかくて、しかも朝、昼、晩と 食事をつくってくださって、 わたくしたちの生命を 育ててくださいます。 母親というのはわたくしたちを産み、 その上私たちを育ててくれます。 母親はまさに太陽さん そのものだということから、 母親のことを昔は「お日身(カミ)さん」 といったそうです。 
 
 

連番357                              2017.9.2

短所の是正か長所の慎重か

般若心経の言葉の中に不正不滅と言う言葉があります。世の中の出来事は何かの生があると何かの滅がある。その生と滅の中にいつも、滅があれば生があり、生があれば滅がある。これを同時に見るのが空(クウ)の眼である。と言ってます。ちなみに、世の中の改革への取り組み姿勢は、世代や国によって異なりますが、若く勢いのあるリーダーが長所伸長に意欲的であるのに対し、慎重な年配のリーダは短所是正により熱心な傾向があるようです。この両方をバランスよく対処していくのが大切であるということ言っているのだと思います。

ここで心得ておかなければ成らないことは、長所の伸長と短所の是正は同時に出来ないと言うことです。アメリカに、ロバはキックとプルは同時に出来ないというたとえがあります。「進め」の指示と「止まれ」の指示を同時に出せば、身動きが取れなく成るという言うわけですが、これは長所伸長と短所の是正にも言えることです。長所と短所は表裏一体で有り、長所を伸ばせば短所も増え、逆に短所を直したことで長所を殺してしまうこともあります。積極的な人は同時にウザイ人で有り、ウザさを無くすると積極性もなくなります。

さらに、経営者が短所と考えて是正したことが、実は顧客からは長所と受け取られていたと言うこともあります。道場運営にも同じことが言えます。

そうした弊害を避けるためにもその時の状況をよく見極めて、今期は(今年は)長所の伸長と短所の是正どちらから取り組むか決断をすることが必要です。

例えば、十年かけて改革に取り組む際は、まず最初の三年は長所を伸ばすことに専念する。次の三年で短所の是正に全力を注ぎ、残りの四年でバランスをとるというのも一つのやり方だと思いますね。

現在の状況下において、個人も組織も、己をよく見極め長所身長と短所是正に的確に取り組むことで柔軟に対処し、道を切り開いてゆきたいと思います。

 
 

連番356                             2017.8.26

     「教育勅語」を建学の精神に

山陰の山間の地で、「教育勅語」の精神に基づいて青少年教育を行っている高等学校がある。昨年創立55周年を迎えた立正大学淞南高等学校である。自国に誇りと愛情を持つ青少年の育成を通じて、教育に維新を起こさんとする理事長の岡崎朝臣(おかざきともおみ)氏に、同校の運営における思いを聞かせて頂いた。

岡崎朝臣理事長 昭和34年島根県生まれ。

岡崎理事長が教育者としていま一番憂慮しておりますのが、日本人から自信や誇りが失われ、それがもとで様々な混乱が続いていることです。 南京大虐殺や従軍慰安婦といった虚構がまことしやかに喧伝されているのもその一例ですが、これらはいずれも戦後、日本を卑下するような学校教育が行われてきた弊害に他なりません。と語ります。そこで、日本を希望に満ちた明るい国にしていかなくてはならないとの思いから、自分の国に誇りと愛情を持つ青年を育てることに力を注いでいます。朝礼もその一環で建学の精神を唱和。これらは教育勅語に基づき創案したそうです。

一 祖国を愛敬すべし

一 孝心を厚くすべし

一 仁愛を旨とすべし

一 礼儀を正しくすべし

一 信義を尊ぶべし

毎朝当番を決めて国旗掲揚をしたり、礼法の時間を設けて挨拶、礼儀、言葉使いなどの指導をしたり、校内の清掃や地域のごみ拾いをしているのもその一環だそうです。長年こういう教育をしていると、下級生は上級生を見習って自然と良い習慣を身に着けていく。学校にお客さんがお見えになった時や、学校のそばにある神魂神社で地元の方に出会ったときなども、きちんと挨拶ができるようになっているといいます。九割がた寮生活なので団結力が育まれ、部活動ではサッカーはインターハイで3回、全国大会で春夏一回ずつ3位に入賞。野球も二回甲子園出場、うち一回はベストエイト。マーチングは4年連続全国大会出場。

 
 

連番355                            2017.8.19

           自己を維新する

岩堀美雪先生の宝物ファイルプログラムの第2段です。小学校教師として点数以外に子供達を評価する方法が無かったことに悔しさを感じていました、「あなたには良いところがたくさんある」と伝えるのに、言葉以外に方法はありませんでした。と当時を振り返ります。

たまたま教育関係の本を見ていて、クリアファイルに学習で生み出されたモノをいれて評価に役立てる手法があると知ったとき、体中にビリビリと何かに感電したように衝撃が走ったと言います。「こんな風にクリアファイルを使って自分の好きなモノをいれていく手法があったとは」と、授業としてどのようなどのようなプログラムを実践していくか考え抜きました。

視覚的な効果や言葉の力もあるので、子供達の心がみるみる変わっていく様子が分ったそうです。「自信の無かった子が体育大会の応援団長に立候補して立派にやり遂げた」「荒れていたクラスが仲の良いクラスになった」「子供が親に反抗しなくなった」など大変な手応えを感じたんですけど、残年ながら誰も認めてくれる人がいませんでした。本を薦めてくれる人もいましたが、出版会社に原稿を送っても「心なんてモノは、今の時代はやりません」とすべて断れたそうです。

この活動を続けようと思っていた時に、担当するようになったのが学級崩壊状態のクラスでした。授業が始まっても席に着かない、下履きはかかとを踏んでスリッパ状態、うざい・きもいと汚い言葉を連発する。男女の仲も最悪。実際始めてはみましたが、宝物ファイルプログラムどころかクラスの運営自体も苦しく、夜も寝れず、ひと月で6kgやせるなど、鬱病寸前まで経験した。その時は子供の嫌なところ、悪いところ、ダメなところばかりを見つけてイライラしていた自分にはっと気づかされたそうです。そのクラスは大変だったが、卒業式の時、子供達全員が大泣きしたんです。一人の女の子が言った「先生、まさかこのクラスで、こんな楽しい日が来るなんて思ってもみなかったです」と言う言葉を聞いたとき、岩堀先生に大切な気づきを与えてくれるために現れてくれたと今は感謝していると言うことです。
 
 連番354                              2017.8.12

自己を改革する


岩堀美雪先生。昭和35年福井県生まれ。

たった一冊のフィルが人生を変える。自分の長所に目を向け、自己肯定感を高める「宝物ファイルプログラム」を開発し、学校教育、社会人教育で実績を上げている人がいる。元小学校教師の岩堀美雪(現一般社団法人)子供の笑顔代表理事)

小学生の子供達に伝えたメッセージと同じモノでも、その内容が会社経営にも導入し大きな成果を上げている会社も多くあるとのことです。

 宝物ファイルプログラムには子供版と大人版二つあります。その特徴を一言で言うと、自分の長所に目を向けて、自分事が好きになる。つまり、自己肯定感を高めるための具体的で効果的なプログラムだと言うことです。

 人間は自己肯定感が低いと他人の顔色ばかり気にして生きづらく成ったり、本来持っている力を十分発揮できなかったりします。

高くなると、家族や仲間のことがいつの間にか好きになり、毎日が楽しくなり、持っている力を十分発揮できるようになります。岩堀さんの夢は、そういう人達を増やして、日本からいじめや鬱病、自殺等を減らしたいという思いがあります。

 必要なモノは一冊のクリアファイルです。子供版であれば、表紙をめくったところに「みんな良いところがあるから、そのことを忘れないでね」といって、「自分の事を大好きになろう」「家族や友達の事も大好きになろう」と大きく書いています。これは岩堀先生が子供達にこうなってほしいというメッセージです。その後に書くのが、自分が頑張りたいことや夢、願いです。それを書き終えると、今度はクリアファイルのポケットに自分の好きなモノ、残したいモノを次々いれます。また、友達同士お互いの良いところを大きめの付箋に書いてプレゼントします。全員から貰った付箋を用紙に貼ってファイルにいれます。保護者の皆さんにもお願いしてお子さんの良いところを書いて貰います。最初は自分の良いところなんか無いと涙ぐむ人もいますが、その時、今見つから無くてもあとで見つけられるからねと伝えておくのです。そうすれば二学期終わる頃にかけるようになったとの事です。子供と保護者も成長し関係も良くなるとのことです。
 
 

連番353                              2017.8.5

ある図書館の壁に書いてある言葉が熱い

 

.今居眠りすれば、あなたは夢をみる。今学習すれば、あなたは夢が叶う。

.あなたが無駄にした今日はどれだけの人が願っても叶わなかった未来である。

.物事に取りかかるべき一番早い時は、あなたが「遅かった」と感じた瞬間である。

.今日やるほうが、明日やるよりも何倍も良い。

.勉強の苦しみは一瞬のものだが、勉強しなかった苦しみは一生続く。

.勉強するのに足りないのは時間ではない。努力だ。

.幸福には順位はないが、成功には順位がある。

.学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。

.苦しみが避けられないのであれば、むしろそれを楽しめ。

10.人より早く起き、人より努力して、初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。

11. 怠惰な人が成功する事は決してない、真に成功を収める者は徹底した自己管理と忍耐力を備えた者である。

12. 時間は、一瞬で過ぎていく。

13. 今の涎は将来の涙となる。

14. 犬の様に学び、紳士の様に遊べ.

15. 今日歩くのを止めれば、明日からは走るしかない。

16.一番現実的な人は、自分の未来に投資する。

17. 教育の優劣が収入の優劣。

18. 過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。

19. 今この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。

20. 苦しんでこそはじめて進める。

 
 

連番352                            2017.7.29

日野原重明先生から学んだ今を生きる

生涯現役を貫いてこられた、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さん(105歳)が
ご逝去されました。105歳に成られても現役でご活躍されていました。病院の仕事以外にも講演活動等をされてました。心より哀悼の意を表します。

 活動の一つとして、2年前から2週間に1回は 小学校に出向いて、 10歳の子どもを相手に 45分間の授業をやっていました。 最初に校歌を歌ってもらい。 前奏が始まると子どもたちの間に入って、 日野原先生がタクトを振ります。 すると子どもたちは 外から来た年配の先生が 僕らの歌を指揮してくれたというので、 心が一体になるんです。 日野原先生がが一貫してテーマとしているのは 命の尊さです。日野原先生は語ります、
 「自分が生きていると 思っている人は手を挙げてごらん」 と言ったら、全員が挙げるんです。「では命はどこにあるの」 って質問すると、 心臓に手を当てて「ここにあります」 と答える子がいます。 日野原先生はは聴診器を渡して 隣同士で心臓の音を聞いてもらって、 このように話を続けるんです。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。 命とは感じるもので、 目には見えないんだ。 君たちね。 目には見えないけれども 大切なものを考えてごらん。 空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの?  でもその空気があるから 僕たちは生きている。 このように本当に大切なものは 目には見えないんだよ」と。 それから日野原先生が言うのは「命はなぜ目に見えないか。 それは命とは 君たちが持っている 時間だからなんだ。 死んでしまったら 自分で使える時間も、なくなってしまう。 どうか一度しかない自分の時間、  命をどのように使うか しっかり考えながら 生きていってほしい。 さらに言えば、 その命を今度は 自分以外の何かのために 使うことを学んでほしい」と語ります。
日野原先生の授業を聞いた小学生からある時、日野原先生に 手紙が届きまました。そこには「寿命という大きな空間の中に、自分の瞬間瞬間をどう入れるかが 私たちの仕事ですね」
と書かれていた。10歳の子どもというのは、 もう大人なんです。あらゆることを ピーンと感じる感性を 持っているんですね。
 
 

連番351                             2017.7.22

          ホリエモンの今を生きる

ホリエモンのある講演会より、SNSの世界では、新しい技術を開発して、勝手に世の中を変えていってしまっています。自分で出来るだけ多くの情報に接することがまず大事です。現在は情報にすぐに辿りつくことができます。それだけじゃダメですれからは、そうやって仕入れた情報を、自分の頭で考えて、そして自分で発信して、頭の中を整理して自分で考える癖をつけていかなければいけないです。

 

それはどうやってやるのか?インターネットでブログや、ソーシャルネットワークやら、そこで毎日発信し続ければいい。そうすることによって、世界中の様々な情報を自分で頭の中に入れて考えて自分なりの判断ができるようになると思います。 おそらく、努力をしない人たちというのは、取り残されていくことになると思います。 だけれども、未来を悲観することはないです。未来は、皆さんの、心がけ次第だと思います。みなさんは私を、知ってる方からすると、ジェットコースターのような人生を送ってきたと、思われてるかもしれません。そして、数々の失敗を繰り広げてきたと思ってるでしょう。そして、たとえば部下から裏切られたとか、信頼してる人から裏切られてつらくないんですか?とか、恨んでないんですか?とか、すごく聞かれることが多いです。でも、僕は悪い事は忘れることにしています。去を悔やんでも、良いことは何一つないです。ただし、これからたぶん、みなさん、どんどん失敗していくと思います。チャレンジをするってことは失敗をする確率も上がるってことです。逆にいうとチャレンジしなければ、失敗することはないかもしれない。でも、成功することもあり得ない。だから、失敗した時にいい処方箋というは、失敗した段階で、再発防止策をとる。その場で考える。そして、考えたら、酒でも飲んで、騒いで忘れる。次の日にはすっぱり忘れる。私はそうしています。そして、これから自分たちがチャレンジしていくことは必ずうまくいくと、思い込むことです。 過去を悔やんでる暇はみなさんにはないはずです。なぜなら、これから、グローバル化で競争激化して、そして、未来には僕は楽しいことしかないと思います。それは、どうやったら楽しくできるか。それは今を一生懸命生きることです。なぜ私が、いろんなことにチャレンジをして、そして、いろんな失敗をしながら、そしてたくさんの人に裏切られながらも、こうやって楽しく生きられてるかっていうのは、今を生きてるからです。今を集中して生きてるからです。未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きる。これが一番大切なことだと考えています。

 
 

連番350                              2017.7.15

自律神経君いろいろ

最近、他の人を見ててすごく思うことがある。それは、楽天的な人は、楽天的になれるようなことがしょっちゅう起こっているように見えるし、逆にいつも不平不満とか「どうせ俺なんか」とか思っている人は、つぎからつぎへといろいろ問題が出ているように見える。あくまでも「見える」ということで、実際はいろんな人にいろんなことが起こっているんでしょう。きっと明るく振る舞っている人は、それなりに努力して、苦労しているのを人に知られないようにしているのだと思っていた。ところが、どうもそれだけとはいえないみたい。私たちは、自律神経のおかげで、別に意識しなくても、24時間心臓や内臓が働いている。この自律神経君、どうやら、主語を認識していないようです。たとえば、「私が転んだ」も「〇〇が君が転んだ」も、転んだのは私と認識(意識)するらしい。しかも、この自律神経君、想像していることと現実に起こっていることの区別が付かないみたい。たとえば梅干しを見たら、唾液が出てくるなんて言うのは、自律神経君のせい。つまり、悲しいことが現実に起こって無くて、想像だけだったとしても、自律神経君は「悲しいことが起こった」と認識し、内臓や血管は収縮したり、堅くなったりいろいろ変化するわけ。恋してる女性はきれいと言われます。勝手に恋してる人と海辺を歩いていることを想像したり、おいしい物を一緒に食べているのを想像するからかも。そうすると自律神経君はそれが想像の世界とは知らないから、血管は幸せ一杯で拡張して、毛細血管のすみずみまで新鮮な血液がながれるからかも。それで肌の調子も良くなるし、髪のつやも出てくるのかも。

ならば、楽しいことを想像したもん勝ち、言葉にしちゃったもん勝ちですね。どうやら自律神経ちゃんはロックオンしちゃうと、後はお任せモードで良いみたいです。特に朝一番と、夜寝る前にそういう、嬉しいこと・楽しいこ・しあわせなことを想像すると良いそうですよ。 笑いは自律神経にはとても良いとのことです。

 
 

連番349                          2017.7.8

仏教・儒教・哲学・神学(神道)

 

仏教・儒教・哲学・心学(神道)が日本には、根付いています。

日本人の道徳性、心というのは世界的に突出していると思います。大震災以来、世界の人もそれを認めるようになってきたと思います。日本は仏教国ですが、日本の仏教の祖はお釈迦さんで、一番偉い人でもお釈迦さんよりは偉くないでしょう?

 

日本で漢文、儒学を勉強した人がいますけれども、孔子さんがそのトップでしょう?

 

日本の哲学者でうんと偉い人がいるけども、ソクラテスよりは偉い人はいないでしょう?

 

ところが、日本の道徳性はどう考えても、世界最高の一つなんです。
 江戸時代に心学というのが出ました。世界に類がないから、あまり世界で取り扱われていないけれども、世界が思想的にまともになるとすれば、日本の心学が一番いいと思います。心学は、まず人間には心があるところから始まるんです。


 その心は日本では三種の神器の勾玉にたとえられています。玉のような心ならば磨けばいいじゃないかと。

 

磨き砂はなんであるかといった時に、仏教の教えでもいいし、儒教の教えでもいいし、神道の教えでもいい。なんで磨いても立派な教えで磨けばいいんです。世界の宗教、哲学の常識を180度変えた、というのはそこなんです。キリスト教徒はキリストに従うのがいい。仏教徒は仏教の教えに従うのがいい。ところが日本の場合はもう一つ高い視点があります。

 

 まず人間に心があるというのは厳たる事実です。その心は磨けるものである、という発想が日本にあるんです。これは勾玉がたまたま象徴されたことから来たと思いますが、いかなる違った宗教でも立派な教えであれば、自分の心を磨くことができる。これは世界に誇るべきことです。日本にはその考えを普及して、日本人の道徳水準を上げた実績が大震災であると思います。

 
 

連番348                             2017.7.1

人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)

ノーベル賞受(iPS細胞)中山教授の座右の銘です。

人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)は幸せや災いというのは予想ができないものだ、という意味です。少し補足すると幸せだと思っていたものが不幸の原因になったり、禍(わざわい)の種だと思っていたのが幸運を呼び込むことがある、という意味も含んでいます。
これは、次の故事に由来します。むかし、中国の北方の塞(とりで)のそばにおじいさんが住んでいました。ある時、このおじいさんの馬が逃げ出してしまったので、近所の人が気の毒に思っていましたがおじいさんは「このことが幸運を呼び込むかもしれない」と言いました。しばらく後に、逃げ出した馬が戻ってきました。しかも、他の馬を連れてきておりそれは、とても足の速い立派な馬でした。近所の人が喜んでいると、おじいさんは「このことが禍(わざわい)になるかもしれない」と言いました。すると、この馬に乗っていたおじいさんの息子が馬から落ちて足を骨折してしまいました。それで近所の人がお見舞いに行くと「このことが幸いになるかもしれない」
と、おじいさんは言いました。やがて、戦争が起き、多くの若者が命を落とすことになりましたが、おじいさんの息子は足を怪我していて戦争に行かなかったため無事でした。
……という話です。
「このじいさん何言ってんだ」などと思うなかれ、彼は占いが出来たのです。これは中国の「淮南子(えなんじ)」という書の「人間訓(じんかんくん)」という部分に載っている話で、
禍と思っていたのが幸運の原因になり、幸運と思っていたのが禍の理由になり、さらにそれが幸運となった、というややこしい話ですが、ようするに幸や不幸は簡には予想できないということになります。
なお、塞翁が馬の
「塞」は砦、要塞という意味で「翁(おきな)」はおじいさんです。「塞翁」だと砦のそばに住んでいるおじいさん、ということですね。人間万事の「人間」はここでは世の中、世間ということなので「人間万事塞翁が馬」だと、世の中のことはすべて何が幸いして何が禍するか分からないものだという意味になります。

 
 芦田愛菜ちゃん

連番347                             2017.6.24

努力は必ず報われる

【努力は必ず報われる。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない】厳しくも説得力のあるお言葉だと思います。王貞治さんの言葉です。王貞治さんほどの方が仰られるからこそ説得力あるんですね。芦田愛菜ちゃんはご家族過ごしているときにお父さまから教わった、この王貞治さんのお言葉を今でも座右の銘にしているとの事。中学受験勉強中の時は、朝から晩まで机に向かう日もありましたが、このお父様から教わった王さんのお言葉を思い出しながら、ストイックな努力で乗り切ってこられたとの事。芦田愛菜ちゃんのような優秀なお子様でも、最後の最後はストイックな努力があればこその最難関中学校の合格であったのだなと強く感じました。芦田愛菜ちゃん中学受験を乗り切れた王貞治さんの言葉、中学では英語を頑る

      

中学受験成功がゴールではないのは、芦田愛菜ちゃんももちろん同じだと思います。芦田愛菜ちゃんほどのお子様が、最難関中学校に入学された後、何を目指していくのかな?と興味を持たれるのは私だけではないと思います。そのことについても、触れていました。芦田愛菜ちゃんは、まもなくスタートする中学生活の中では『本格的に英語の授業が始まるのでとても楽しみ。中学校では英語を頑張りたい』との事。続けて『外国の方との日常会話ができるくらいになるまでが目標です』と既にどれくらいかという目標を立てているあたり、さすがだなと感じました。もう近い将来には英語がペラペラの芦田愛菜ちゃんをテレビで見れるのだろうなと私は確信に近い思いを感じました。『努力は必ず報われる。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない』芦田愛菜ちゃんが座右の銘としている王貞治さんのこの言葉を、私自身も心に留め、そしてこれから中学・高校受験を控える皆さんにも教えてあげようと思いました。

 
 相田みつをの残した言葉
横田南嶺・相田一人 対談

連番346                             2017.6.17

優先順位を何処に定めるか

 先日、鎌倉の円覚寺へ行って参りました。その関係で管長の横田南嶺さんの映像を拝見し、相田一人さんとの対談で興味深い話がありましたので、ほんの一部ですが紹介したいと思います。

 

『優先順位を何処に定めるか!』

白隠禅師の話を相田みつを氏はよく話していたと言います。白隠禅師を尊敬しているある商人の方がいて、その娘さんが身ごもったと。娘さんは白隠禅師の子供だと言えば、父親に許してもらえるのではないかと、悪知恵を働かせて嘘をついた。それを聞いた父親は、娘に手をつけるとはとんでもない坊さんだと激怒し、赤ちゃんを抱いて禅師のところへ行き、「これはあんたの子だろう」と詰め寄る。どういう対応をするかと思ったら、「ああ、そうか」と言って、赤ちゃんを受け取ったんですよね。父親はますます「やっぱりそうだったのか」と憤慨して、家に帰った。その後、禅師がお乳をもらいに歩き回る様子を見て、娘が白状する。「実は別の人の子供なんです」と。それで父親は平身低頭して禅師に謝罪した。何か嫌みでも言われるかと思ったら、禅師は「ああ、そうか」といって赤ちゃんを帰したと言うんです。

その時、白隠禅師が何を考えたかというと、自分が父親であるとかそうじゃないとか言うことよりも、生まれたばかりの乳飲み子の命を助けることが大事なんだと。で、その後母親が現れたときには、やはり子供は母親が育てるのが一番良い訳ですからすんなりと返した。だから、その時どう動くかと言うことについて、判断基準や優先順位がはっきりしているってことです。人間ですからどうしても自分の評判を気にしたり、よく見られたいと言う気持ちが入ってしまう。今、目の前にいる子供の命、そこに焦点が定まっていたから平気だったんでしょう。これは難しい、なかなかできることではありません。「ああ、そうか」と言うだけで、それ以上、反論も追求も何もしない。そこまで行けばたいしたものです。

我々にはまねはできない神業です。でも、優先順位を何処に定めるかという重要性は非常に腑におちます。
 
 

連番345                            2017.6.10

すべては心一つの置きどころ

【 まごころの ひとつ心の こころより よろづの事はなり出(いで)にけむ 
(すべてのことは自分の心から 生まれ出てくるものだ)
                                                 
 ――山岡鉄舟
心というのは面白いものだ。自分の心なのになかなか思うとおりにならない。人の一生も、ふっと心に思い浮かんだことから今に至る。そう考えると、我々の心次第で自分の人生はどうにでも変えていくことができるわけだ。ところが、人はしばしば自分が何かに束縛されていると考える。だから自分の思うようにいかないのだ、と。しかし、すべてが心で成り立っているのだから自分を縛っているのは自分にほかならない。
だからこそ大切なのは、自分の心をしっかり見極めていくことなのである。

 

「山岡鉄舟の臨終の見事さ」
「山岡鉄舟の武士道」の中で勝海舟がこう言っている。「山岡死亡の際は、おれもちょっと見に行った。 おれが山岡の玄関まで行くと、息子、今の直記が見えたから「おやじはどうか」というと、直記が「いま死ぬるというております」と答えたから、おれがすぐ入ると、大勢人も集まっている。その真ん中に鉄舟が例の坐禅をなして、真っ白の着物に袈裟をかけて、坐している。 おれは座敷に立ちながら、「どうです。先生、ご臨終ですか」と問うや、鉄舟少しく目を開いて、にっこりとして、「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる」と、なんの苦もなく答えた。 それでおれも言葉を返して、「よろしくご成仏あられよ」とて、その場を去った。 その後、聞くところによると、おれが山岡に別れを告げて出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日よりはるか前に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。 なお、また臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、妙然として現世の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったそうだ。 とてもまねは出来ないが、心の置きどころとしては、是非こうありたいと思います

 

                       立腰教育 

連番 344                         2017.6.3

腰骨を立てる

  人間として大事なこととの一つとして、いったん決心したら、たとえ石にかじりついても必ずやる抜く人間になること。我が子をそのような人間に育てる上で非常に有効な秘訣、それは腰骨を常に立てている人間になることだと多くの人が言ってます。腰骨が立ってなく、姿勢が悪くなっているとやる気は沸いてきません。元気・根性・粘り強さと言ったものは、腰骨を立てることによって養われるようです。腰骨を立てることによって、血液の流れ、神経の流れ、リンパの流れ、気の流れが良くなり、身体全体が良くなり、元気になるようです。

朝起きてから夜寝るまでに、常に腰骨を曲げずに立て通しているような人間になることは精根(心身の精力と根気)の入った子供にするには極秘伝であると説かれています。心は体に大きく左右されます。体の線をきちっとすれば自ずと心もシャキッとしてきます。千利休が茶道をを創始する際に、あれほど細かに作法を定めたのも心を整えるためです。武道で型が重要視されるのも同じ理由です。この腰骨を立てることを伝授するには、これが人間の一生に於いて一番大事なことであると良く納得させることです。もし腰骨が曲がっているところを見たら後ろから、後ろから黙って手を当てて撫でてやることです。一切小言を言ってはならないと森信三先生は言っています。腰骨を立てると言うことは、人間として一切の元であり、親が真剣に取り組まなければとうてい身につきません。

森信三先生のことば(立腰教育)

つねに腰骨をシャンと立てること、これ人間の根性の入る極秘伝なり。

人間は身心相即的存在故、根性を確かなものにしようと思えば、まず躰から押えてゆかねばならぬ。それゆえ四六時中、「腰骨を立てる」意外に、真に主体的な人間になるキメ手はない。「腰骨を立てる」ことは、エネルギーの不尽の源泉を貯えることである。この一事を我が子にしつけ得たら、親として我が子への最大の贈り物と言って良い。

   腰骨を立て

   あごを引き

   つねに下腹の力を抜かぬ亊

同時にこの三つが守れたらある意味では達人の境といえよう。
 
 連番343                        2017.05.27          
笑い

現役のフリーの産科医であり、元気で長生き研究所 所長 昇 幹夫さんがおもしろい!笑いは百薬に勝る。
 “ウツ“をはじめ心の病気が増えています。日本全体で八百万人とも1千万万人とも言われております。 大変な時代です。 戦後豊かになりたい、そう思って頑張って手にしたものと失ったものを比べた時バランスシートはどちらに傾くか。 20世紀は、もっともっとというかけ声のもと誰が一番、だれが二番と団塊の世界に象徴されるように、生まれた時から絶えず競争させられる時代でした。 そろそろちょっと人生を見直す時期、それが還暦だと思いませんか? 還暦を迎え久しぶりの同窓会で酒と薬を交互に飲みながら話題といえば健康問題ばかり。
去年入院してねとか、最近俺はアルツハイマーじゃないかと思うんだとか、あげくの果てにあいつ死んだんだってとか一人一人病気自慢じゃないけれどあっちが悪い、こっちが悪いという話ばっかり、です。 たまに、おかげさまでどっこも悪いとこもなくてというやつがいるとみんな目がテンになって「ホンマか!この年まで来て文明人ならひとつくらい悪いところあってあたりまえだ、お前野蛮人か!」  これは体が悪いのでなく、口が悪い病気、でした。
 顔はあなたの生活、健康、人生を映す鏡。京都にある市立美術館はいい作品が展示されていることで有名です。10年前にここで美人画の展覧会が開かれ大阪のおばちゃんが喜んで見に行きました。 竹下夢二の大正時代の美人画、浮世絵の美人画とずーっと見ていったら、ピカソの画があったので係りの人に文句を言いました。 私は美人画の展覧会ということで楽しみに来たのに、なんでこんなとこにピカソがあるの? 係りの人は困って言いました。「奥様、それは鏡でございます」      (笑えた人は大丈夫・・・)

  

   

連番342                         2017.05.20

幸せバリアを作る

少林寺拳法は幸福運動である。幸せバリアをつくりその中で過ごせば幸せに過ごせる。では、幸せバリアの作り方はどうすればいいのだろうか。 地球上のすべての存在物は、『意志』(陽子)と『意識』(中性子)が結びついて構成されている。 意志とは愛であり、(陽子)。意識とは感情であり調和の波動であり(中性子)である。 すなわち、愛と調和が、すべての素になっているということです。  今武道界でも、究極の武道は調和であり、愛であると宇城憲治さんも山﨑先生も言い続けています。
 足立育郎さんの書籍『波動の法則』にその本質を科学的に説明しています。愛はやさしさ、調和はバランス(中庸)。そこに光というエネルギーを加えると明るい極楽方向に波動が向かうということが理解できます。 わかりやすく言えば 愛(やさしさ)と光(明るさ・上機嫌)を、何があっても絶やさず今を生きること。これ即ち、幸せバリアをつくる事。
 私は愛と光を続けます。これは人生の大切なナビである。普通ちょっと嫌なことがあると、人の心はすぐに悪魔の領域に心が傾く。 だから、どんなことがあっても、自分の心を『愛と光』のダーマ(神様)の領域に、忍耐強く於く癖をつける。 どんなことも人のせいにせず、一つ一つ愛と光で忍耐強く解決していく。 これが魂の成長であり、人生に奇跡が起こる道のようです。

 幸せの正体》
 人間というのは、放っておくと、『心配なこと』とか『不幸なこと』とかマイナスな考えが心に出てくるようになっているらしい。 『心配』とか『不安』はもともと人間が生きるための防衛本能で人間を守るために潜在意識の中に備わっているもののようです。 昔に比べると現状はヒマが多いこの暇が、心配や不安をどんどん湧き上がらせている。 そうすると、自分の心が不幸な心(ネガティブマインド)に、支配されてしまう。 だから、不安や心配だと感じたら、自分はヒマなんだと気づくこと。心配事の正体がわかれば、不幸って大したやつじゃないということが分る。 幸せの正体は、自分の意思。この意志は人間が幸せになるためのである。 幸せの正体がわかった人には、いつでもどんな時でも、幸せなことしか起きない。 だから人は、気づけば、いつからでも幸せになることができる。 いつも自信を持ちふるまえばいい。これが仕事だろうが商売だろうが、人生だろうがうまくいくコツのようです。 完璧にやろうとするよりも、失敗を恐れないで、どんなことにも挑戦したほうが楽しい。人間はどんなにできたって78%の出来らしい。100%出来るというのは神様の領域。 笑いは人生の潤滑油であり、幸せのスイッチ。失敗やアクシデントがあったら、それを笑いにかえる魔法のスイッチを入れよう。 と斉藤一人さんは言います。天風さんは潜在意識をコントロールし好転させる方法を説きます。

 
 
                             素直な心 

連番341                        2017.5.13

私は縁があり松下電器産業株式会社(現パナソニック)に入社し、卒業しました。私どもの会社の至る所に『素直』と書かれた額が飾ってあります。松下幸之助の直筆です。松下幸之助氏は『素直な心』が成功の要と考えておられました。松下幸之助氏は、「自然の理法は、一切のものを生成発展させる力を持っている」と考えていました。だから、素直な心になって自然の理法に従っていれば、上手くいく。世の中は成功するようになっていると言っておられます。

ところが、私たちにはなかなかそれができない。自分の感情にとらわれる。立場にとらわれる。地位や名誉にとらわれる。自然の理法になかなか従うことができない。それ故、かえって状況を悪くしてしまう。無用な苦労をする。望むような結果が得られない。一人一人のとらわれが、争いになり、つまるところは戦争にまで至る。自然の理法に従うならば、もともと人間には進歩発展する本質が与えられている。言葉を替えて言えば、繁栄と平和と幸福を実現する力が与えられている。「それが上手くいかんというのは、とらわれるから。素直でないから。だとすれば、素直でないといかん、と。素直な心こそが人間を幸せにし、また人類に繁栄と平和と幸福をもたらすものであると、私はそう考えたんや」と言っています。しかし、松下幸之助氏の言う素直な心とは、人の言うこと何でもハイハイと答えるということを言っているのではありません。無邪気な心のことでも無ければ、幼児の心のことでもない。それだけでは本当の素直な心ではない。本当の素直とは、自然の理法に対して、すなわち本来の正しさに対して素直であること、そういうことやろな」と答えられています。

正邪、善悪、表裏の存在を知りながら、なおかつそれにこだわらない。偏らない。単なる無心でもない。自分が悟ればそれでよしするものでもない。素直な心になることは、決して易しいことではない。自然の理法はやるべきこと、なすべきことをやっている。早い話がお日様はきちんと東から出る。西に沈む。春が来て、夏が来て、秋が来て、そして冬が来る。人間もやるべきこと、なすべきことをきちんとやれるかどうか、自然の理法に従うというのは決してそう易しいことではない。「わしはそういうようなことを自ら考えながらやってきた。宇宙万物自然というものが、わしの先生でもあったわけやな。」と経営の神様、松下幸之助氏は言ってます。

 
     
    連番340                            2017.5.6

            その時どう動く

昨年、石川県に歌手の加山雄三さんが野々市にコンサートに来て、家内と見に行ったことがあります。

来年80才とは思えぬ若々しさだがありました。父親の上原謙さんが事業に失敗、その後始末で大変な苦労をされた時期があったという。こうした苦労を乗越えたのは「おばあちゃんのおかげと語ります。「おばあちゃんは僕が子供の頃から何かあると、おまえは今、試されているんだ、と言ってました、また、荷物が重いのではない、自分の力が足りないのだ、とも言われました。この二つの言葉が僕を支えてくれたのだと思います」 と加山さんは語り、試練の時おばあさんの言葉で乗り切ったとと言います。

人生には三つの坂がある、とよく言われます。上り坂、下り坂、そして、まさかーーー。上り坂、下り坂の時は、そういう坂に来たのだと心の準備がまだ出来るが、突然くるまさかは準備する余裕がない。人生最大、最難の時といえます。そのときどう動くか?

常岡一郎氏のそのときは、大学卒業直前にきた。肺結核で血を吐いたのだ。当時の結核は死病。訪れる人もなく病床で悶々とする日々の中、ある人の 「比叡山に徳の高い人が住み、訪れる人が後を断たない、あなたも徳を積んで病気と縁を切りなさい。」と言う言葉に、大学を中退。トイレの掃除道具を柳行李(ヤナギゴウリ:にもつをいれ箱)に詰め、全国各地を奉仕修行、「病を治すことを止め、病で自分の性格を直す」ことに全身全力を尽くして15年、ついに結核を完治した。その常岡氏の言葉。「何処に投げ出されても、だるまは転がっていく。そして、踏みとど待ったところで、すっと立ち上がる。それは、重心が重く、低いところにあるからで、人もそうである。どんなところに投げ出されても良い。行き詰まる、止まったところで真っ直ぐ立ち上がれる人にならねば成らない。そのためには徳を積み上げて行くと良い。力に満ちた、重心の低い、豊かな魂の人になると良い。」この覚悟で生きる人はあらゆる、まさかを超えていく人だろう。

『面今:ニコン』という、禅の言葉がある人生には今というこのときしかない一瞬一瞬が勝負の時という自覚を持って生きよ、そのときは突然来るのでない。今がその時、その時がいまーー。この自覚を持って日々をつとめきる。そこに『その時どう動く』の解があるように思える。

 
     
   連番339                      2017.4.29

             断捨離とは

断捨離やましたひでこ。クラタ―コンサルタント。『世界の断捨離』 提唱者。

家のがらくた=心のがらくた。頭のなかのがらくた、混乱・混沌を解決していくには見えるもののがらくたを、あるいは家の中の空間を整えていけば直る。そこで、目の前にみえるものの片付けを始める。クラターを解消するメソッドとして断捨離の概念を使っている。やましたひでこさん、実は私の家の近距離(200m隣)。やましたさんは言う

断・捨・離の漢字は全部引き算の言葉、たつ・すてる・はなれる、全部引き算。

家の中にある余分なもの、不要なものを引き算して片付ける。同時に自分の心の中にあるいらないものを引き算する。新しい片付け術。を減らすと、心も片付く。断捨離は仏教用語であり、断行、捨行、離行。行とは行動の行という字であり、つまり、行うという意味です。本を読んで、話を聞いて、学ぶと言うことではなく、自分で行動して体得していくと言う意味。実は行法哲学 なんです。とやましたひでこさんは言う。

何のためにするのか? ここが哲学です。素晴らしいところです。

心の中の執着を断ったり、執着を捨てたり、執着を離れたりするための行法です。

断行とは、断食したり、捨行とは、出家したりとか、離行とは、執着から離れる。

物と一緒に執着心も手放せるのであれば、物が自分の執着心を写し出しているのであれば、物は、ものはものとして存在してるのですが、私たちはそのものにいろんなものを貼りけるるんです。(もの+思い) 自分がこの物にどのような思いをつけるか?人からもらったものなのか、なけなしの金を払って買ったのか、物にはストーリーがあるわけです。よく考えると物には意味はついてない、意味をつけてるのは自分。この思いがポジティブな楽しい思いならいいのですが、重たい思い、つまり、こだわり憎しみ、執着であれば、そこにあることで、自分にどういう影響を与えるかということが全く違ってくると思う。なので、物によく向かい合ってどんなも思いを持っているかが大事で、残すべきものは残し、手放すべきものは手放す方が心が軽くなるのであれば手放した方がいいよというのが、断捨離のある意味片付けのスタイル。まずこの思いに気が付く。そしてこの物を手放していこうと言うものです。そうするとどうなるか?この思いが=重い 物であるならば、これそのものを手放すわけですから、非常に心が軽くなるわけです。行動自体はものを手放すことですが、本当に心が軽くなる。そういう片付け術ということです。物の形づけ術、空間の片づけ術でありながら心の片づけ術であるということ

 
     
 

   連番338                        2017.04.22

         ヨーガからの学び(沖 正弘)


沖正弘氏は日本のヨーガ創設者です。ヨーガは、自然と一体となって生きるのがポイントのようです。自然現象とは、プラスとマイナス、陰と陽、生きることと死ぬこと、生産することと消耗すること、こうした二つの協力によって成り立っている。少林寺拳法で言うところの拳禅一如・力愛不二と同じことのようです。生きると言うことは生きていることが目的であり、生きるために生きている。正しく生きると言うことには、そこに愛が必要と説いています。

ヨーガは、命には言葉(気)がある。命には形・姿(呼吸)がある。常に良い気分に成るように、楽な生き方を出来るように自分でコントロールする。常に命に対してどのように生きるかを考える求道生活を求め、そこに目的を見いだしていこうとしているようです。

強化法:すべてを笑いの呼吸で行うこと。笑いの呼吸とは、笑いの時のように吐ききり、大きく吸いきる。いかなることも、全身で行うこと。呼吸は丹田で行うこと。実技:吐く時は、体全体で前に倒し吐ききる。吸うときは手と顔を上げて吸い、小刻みに吸い込み笑いながら吸う。指で片方の鼻の穴を押えて脈に会わせて吸う。右の鼻から吸うと緊張。左の鼻から吸うと弛緩。

上虚・下実(じょうきょ・かじつ)下の方は力が入るように上の方は

力が抜けるように注意集中(目)。呼吸は肛門に力を入れる出来るだけ肛門がしまる様な呼吸を。出来るだけ目に集中するように。これを、目を活かし、丹田を活かすという。この二つが丹田を養う方法。

基本ポーズ:自由自在な心を持つための自由自在な体。真の心と美を作るための行法として、一つ一つの動作の中で、体の特定の部分で意識を集中させる。動作と呼吸を一致させる。いわゆる動く禅のようです。

その他の特徴として、深い呼吸法。合掌の姿と心の置きどころ。瞑想の心と実際。親睦の宴。断食。治すヨガetc。奥は深いようです。

 
   
 

連番337                             2017.04.15

         それもまたよし ほととぎす

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」(織田信長)


「鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす」 (豊臣秀吉)


「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」 (徳川家康)


戦国武将の3人の有名な俳句ですが、

 

「鳴かぬなら、それもまたよし ほととぎす」 

と詠んだのが「経営の神様」と謳われ、

いまなお多くの人々を惹きつけてやまない松下幸之助氏の俳句です。


俳句には、それぞれの性格が見事に表れているのを感じますが、
「それもまたよし」という句には、

9歳(小学校4年生)から丁稚奉公に出て、
頭のさげ方から言葉遣い、身だしなみなど厳しい商人として、
また社会人としてのイロハを身に付け、
個人企業を1兆円企業へと育て上げた松下幸之助氏ならではの
人情味を感じます。



没後28年を過ぎた今でも、数々の言葉や教えは
色褪せることなく、いまなお多くの人々の道を照らし続けています。

 

連番336                          2017.04.08

             俯瞰力を磨こう

<俯瞰(ふかん)の意味>
これは、「高いところから見下ろす」という意味です。例えば、高い山の頂上に上って下界を見るようなイメージ。または鳥になって街全体を見渡すイメージ。そんなのが「俯瞰」です。


「俯」は「ふす・うつむく」という意味の漢字。「瞰」は、「見下ろす」という意味の漢字。元々は「遠くをのぞき見る」という意味の漢字のようです。よって二つを合わせると、「伏せて見下ろす」という意味になり、高いところから真下を見るようなイメージになります。こうした、目先にとらわれず、高所・大所から見る目を持つことのようです。

状況判断を冷静に又全体的に見渡せる、これを出来る人は俯瞰的な人という。こういう人は一緒にいたいし、信頼できたりする。すなわち、良好な人間関係を持てる。

これに対して、近視眼的に見る人、狭い物の見方をする人、自分のパターンだけから物事を判断する人、あるいは反射的に相手の立場を理解しようとせず、自分の思い込みばかりを言う人を、『俯瞰的な人』の反対な言葉として、『残念な人』と言うと置き換えて見ます。

 

自分の心理パターンから抜け出せない人は残念な人となりがち。

残念な人は、他社からの評価も低くなりがちで、幸せになりづらい。

残念な人から抜け出すには、『Me First』(自己優先的)で生きること。

自分の心理的欲求を理解し、満たせば、人生は輝く。

 

最近は都民ファーストとか、アメリカンファーストが流行語になっていますが、ファースト『Me First』(自己優先的)で生きるというのもだいじな生き方の要素だと思います。


 

連番335                              2017.4.1

2017年度を読み解く

皆様お久しぶりです。石川県少林寺拳法連盟参与の高倉です。二年ぶりに人生訓話を再開する運びとなりました。あわてず、焦らず、気張らず、楽しく発信していきたいと考えています。ご意見等ありましたらお聞かせ願います。まず、今回は最初なので、すでに始まっている今年はどういう年になるかを、考えてみたいと思います。

今年は、丁(ヒノト)・酉(トリ)・一白水星(イッパクスイセイ)の年です。 

2017年(平成29年) 丁・酉・一白水星 (正式には24日から、旧暦)

今年の年を考えるとき、前提として三つの動きを注目したいと思います。

:宇宙に満ちる気、(十干:丁)

:地上にあふれる気、(十二支:酉)

:人間社会と生命全体を総括する気。(九星:一白水星)

 

十干(丁)  (十干とは宇宙を10分類・10本の柱として分けた)

これまでやってきたことに対して新しい動きが静かに育ち、やがて衝突する。

十二支(酉) (地上の気を12分類した。)

お酒を醸造する瓶(カメ)の象形文字で、底に溜まった麹が発酵してついに爆発し、新たな動きとして表面に出てくる。

九星(一白水星)(人間や生命体の世界を9つのサクセスロードと分類)

一滴の水から大河になる動き、気がつかないほど小さな始まりから大きく育つ要素がある。

 

2017年を構成する天・地・人の三気は、それぞれ革命の気を強く持ち、反発と新しい動き動きの爆発的なエネルギーを内在する。(シンギュラー・ポイントと言って一種の特異点を示す)地球全体の環境面を含め、世界経済・日本経済の激動が予測されます。その兆しが昨年度末から現れてきています、イギリスのEU離脱。トランプ米国大統領の誕生など。 


 

        2017 高倉賢哲     2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012  2013 2014 2015 
            
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少林寺拳法連盟

 
                                                  
     石川県少林寺拳法連盟参与  髙倉 賢哲 
  
      皆さんの人生に共鳴を与える素晴らしい先人の教訓を掲載致します。
       合掌

     石川能美道院・石川辰口スポーツ少年団支部はこちら
                                    

参与 高倉賢哲



   石川県少林寺拳法連盟参与の
  2018年 高倉賢哲
  人生訓話ブログ

  宇宙・ダーマに近づく
    ・・・・調和力を磨こう

 
   
お知らせ 更新日:3月3日


 石川県少林寺拳法連盟理事長
 2015年 高倉正明
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